2〇〇1年 2月のカメラマン平のぶらぶら日記

2/27
今日、とてもいい家を見てきた。神戸市北区山田町にある箱木家住宅。現存する日本で最古であろうと言われる民家である。そんな民家がうちから車で1時間たらずの所にあると雑誌を見て知ったのが今朝のことで、こりゃすぐ行こう!と思い、昼からさっそく出かけたのである。
とてもいい天気で暇してたので気分が悪かったのだが、いっぺんで今日の空みたいに晴れ晴れと、わくわくした気持ちになっていた。
車で走ること1時間ちょっと、早春の光の中に、その家はあった。
思わず「ぼーやー良い子だ、ねんねしな」と口ずさみたくなるような、なんとも懐かしいそのたたずまいは、懐かしいという思いから、すぐに美しいという思いに変わっていった。
何よりもその形のバランスがすごくいいのである。屋根の高さに対しての壁の見える部分の高さが3対1位と低く、すごく安定感を与えている。そして木材、土、茅だけのシンプルな素材。装飾など一切なしの素材そのまんまの朽ちた美しさ・・・・実にいいのである。
イタリアに行ったとき、石造りの家々を見て、こりゃ日本の家はかなわんわと思っていたのだが、この箱木家の住宅を見て、日本の住宅もまんざら捨てたもんじゃないなと思い直した。内部はリビング、納戸、キッチン、そして土間。土間部分は吹き抜け天井だしリビングには囲炉裏まできってあって、床はフローリング、設備だけ現代のものに替えたらとてもしゃれた住宅になりそうだ。こんな家があちこちに出来たらすごく楽しいだろうし、外国の人にも「これがジャパニーズハウスや」と誇れるのではないだろうか。
まだ行かれてない方は、ぜひ一度いってみてください、ほんと感動もんですよ。

室町時代に建てられたこの民家はダム建設にあたり、もとあった場所から70メートル南東のこの場所に移設された。移設前のこの民家は一棟であったのだが、移設時の調査で以前は二棟であったことがわかり、古い母屋と新しい離れを分離して、復元再築したのだそうだ。現在は一般公開されており、9:00〜17:00まで、大人300円で見ることができます。

2/23
先週、今週とぶらぶら日記が遅れている。
毎週、週の頭には書きたいのだが、ネタがなかったりパソコンに向かうのが億劫だったりして・・・・いかん、いかん気合いを入れ直そう。
先週から今週にかけては、毎月のポストカードの撮影とカーサウェスト3月号のCWギャラリーの撮影とプリントを主にやっていた。カーサウエストギャラリーは今回で3回目になるが前2回は写真に合わせてエストモがエッセイを書いていたのだが、今回はエッセイに写真を合わせようと言うことになり、エッセイをもとに大阪の梅田、弁天町、天保山、淀川河川敷とハッセルで撮り流した。梅田では人の流れと、ヘップファイブの真っ赤な観覧車、弁天町では狭い路地から見上げるピカピカのタコ入道大阪ドーム、天保山のマーメードはどこか寂しげでとても色っぽく、淀川では大きな声で「ゆりカモメさ〜ん」と叫びながら野鳥に餌をやっているおばちゃん、などなど、行くとこ行くとこでおもしろい風景に出会い、その都度その都度、バシャッ、バシャッとシャッターを押していく。こりゃいい写真が撮れてるぞと思い家に帰って現像してみるのだが、そうでもない。よしもう一度と思い次の日も、次の日も出かけて行くのだがエストモのエッセイにピッタリ合う写真は撮れていないのである。やはり三日や四日じゃいい写真は撮れないのである。そんなに写真は甘くない。いつもいつも撮っていないといけないのである。反省である。
と言うわけで、今回は少し前に撮って置いた写真をつかう事にしてプリントした。最近撮った中ではこれが一番エッセイに合うだろう、そう思い出来たプリントをエストモに見せると「まだまだね」・・・・・・・きついな〜。

2/14
今日フイルムの現像を出しに梅田のラボまで行って来た。
現像が出来上がるまで時間があるので梅田界隈をぶらぶらしてみた。
やはり、この辺はいつも人が非常に多い。”うじょうじょ ”という言い方がピッタシあてはまる。しかし今日はやけに若いカップルが多いなーと思ったら今日はバレンタインデーなのだ。若い奴らはいつの時代もいっしょやなーと横目で見ながら、ぶらぶらぶらぶらしていると澄んだ青空に赤い大きな観覧車が見えてきた。直径75メートル、高さ105メートル、さすが大阪、いつ見てもこれはいい!次は梅田から難波までのジェットコースターなんか作ってほしいな、ねっ、竹中さん。

2/5
高一の娘が先月からアルバイトに行きだした。アルバイトなんかやる時間があれば勉強せんか!と言ってはみたものの、彼女の「少しでも家計の為になったら」と言ういじらしい言葉に負けて渋々ながらバイトを許可した。実は20数年前、僕も高2と高3の夏休みにバイトをしていたのだが、それはラグビー部の夏合宿のための資金稼ぎで、監督が「合宿は金がかかるから10日間バイトして費用を稼げ」と言って部活を休みにしたからだった。あの地獄のような夏合宿のためにわざわざバイトまでせんといかんのか、勘弁してよ〜と思いながらも僕らは「オッス!」の一言で各々バイトに散っていったのだった。
僕は父が勤めていた工場でバイトすることにした。朝8時から夕方5時まで、ただひたすら鉄板にドリルで穴をあけるのが仕事で、二日目には退屈で退屈で逃げ出したくなっていた。たまに父が様子を見に来て「まちがわん様、ちゃんとやれよ」なんて事を言っていくのだが、なんでこんな事で間違えるやつがいるもんか!と思いながらドリルが鉄板を貫通していくのをじっと見つめていた。
なにも感じはしなかった。バイトをする事によって社会の仕組みや厳しさが学べるなんて事を言う人がいるが、高校生ぐらいの時は、ただ時給がいくらかとか、弁当が貰えるとか、休み時間が長いの短いの、バイトのお金で何買おう、ぐらいのことしか考えてないのである。しょうがない事なのである。
この頃になってやっとあの頃の父の苦労や辛さが少しずつわかってきたような気がする。オイルの臭いと鉄粉の臭いの中、すすけた顔で笑っていた父はもういない。無口な父はあの頃僕にこう言いたかったに違いない「バイトより他にすることがあるだろう」と。

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