2〇〇1年 4月のカメラマン平のぶらぶら日記

4/24
大リーグの日本人選手の活躍ばかり注目していたらイタリアのサッカーリーグセリエAではナカタが約一年ぶりにゴールを決めたという嬉しいニュースが入ってきた。ナカタにはまだまだ頑張ってほしいものだ。
最近は本業の建築写真でバタバタしていてぶらぶら写真がなかなか撮れてない。どちらも同じぐらいに頑張らないといけないのだが、どうしてもお金になる建築写真の方を頑張ってしまう。どちらが楽しいかと言えばどちらも楽しいのだが建築写真の方は失敗がきかないのでワンカット、ワンカットとても気を使うのに対してぶらぶら写真は好き放題撮れて少々失敗しようがしまいがお構いなしなので、そのへん気が楽だ。しかし被写体がそこにあるのと、被写体を探し出すのとでは探し出す方がずっと大変なのであって、ぶらぶら写真もそれなりにきついのである。
しかし、それ以上に大変なのは何を撮るのか?ではなく、なぜ撮るのか?・・・・ぶらぶら写真が本当にきついのはその、なぜ?につきると思う。だから初めに言った建築写真が忙しいからだけではなく僕がなぜ?と言うことを考えることが少しゆるんできているのではないかと、この日記を書きながら今思っている。カーサギャラリーのエストモの文句ではないが、描くことと描かないこと、撮ることと撮らないことの間には、障子紙の厚さぐらいの隔たりしかないのだが、それを突き破るか破らないかでは天と地ぐらいの差が生じてくるのだ。
建築写真とぶらぶら写真で僕が感じる違いの一つに視野の角度がある。建築写真の撮影の時には頭はあまり動かさない。被写体である建築物を真っ直ぐにじっと見ている。
ぶらぶら写真の場合は前後、左右、上下とあらゆる所に目をやって感じるものを見つけだす。この違いの延長線にこそ大事な大事なその「なぜ?」の答えが隠されているのではないかと最近思うようになった。それは、そのものとかその場所とかは単なるものや場所なのであって写真に撮ろうが撮るまいがどうだっていいことなのだが、そのものやその場所があるものと無いものとを感じることでは大きな違いが出てくる。建築写真を撮るときはあるものをじっと見つめていて、ぶらぶら写真の視線は無いもの、無くなるものを感じながら見つめているのだ。
僕の「なぜ?」は今のところこのようなものなのである。あるものも最後にはないものにはなるのだけれど、無くなると感じる時から無くなるまでより、あると感じる時間の方が長ければあると感じるわけなのであって、それは明らかにあると言うことであるのだ。
要するに、無くなるもの、無くなるであろうもの、人、場所、感じる思い、などなどの記録が今のところ、ぶらぶら写真の「なぜ?」の答えなのである。

4/17
カーサウエストの11号が送られてきた。伊藤さん、どうもありがとうございます。
今回はエコロジー住宅の特集でとても興味深く読みました。これからは、建てる方も建ててもらう方もエコロジーを無視出来ない時代になります。
エコロジー =生物と環境の関係。エコロジーな家とは環境に良い家のことなのだろうが、環境に良い家とは?僕なりに考えると、やはり第一に長持ちする家ではないかと思う。いくら環境にいい家でも20年や30年で作り替える様じゃあ材料がもったいない。せめて200年いや300年ぐらいもつ家がどんどん造られて欲しいものだ。値段は高くなるが長い目で見れば安いものだと思う。
第二に電気や石油をあまり必要としない家、要するに夏涼しく、冬暖かい特にこれからの日本は暑くなるので夏対策がとても重要だと思う。そして第三は家を隠すこと。これはいくらいいデザイン家を造ってもしょせん人間のやること、自然の草木には絶対にかなわないのだから、家を草木で隠して人目に付かないようにしたらいいと思います。

さてカーサギャラリーは今回で3回目になります。今回はエストモのエッセイが最初にできてそれに僕が写真をあわしたのですが、どうだったでしょうか?自分ではなかなかいい線行ってると思っているのですが。

4/9
先週の続き。
登山コースからはずれて僕らは滝を見に行った。10分ぐらい行くとその滝は見えてきた。滝と言っても小川程度の水の流れが15メートル程下の渓流に流れ落ちているだけで、なんともショボイ滝なのである。
美容師「こうやって滝を上から見下ろすことは、めったにないけー平さん写真撮っとかんといけんよ」
僕  「せーでも、ちょっと迫力にかけるな」
美容師「なによん、これを迫力あるように撮るのがカメラマンじゃろう」
僕  「・・・・・・・」
美容師とこんな会話を交わしながらパシャパシャ撮っていると突然「ワーッ」と言う銀行員の悲鳴が聞こえてきた。目をあわす美容師と僕。
僕「どうしたんな」
美容師「落ちたんじゃ!」
僕  「アホか」
上から見下ろすと、銀行員はやはり下まで落ちていて横たわっている。
美容師「大丈夫かーっ!」
銀行員「あいた〜」
いくらショボイといっても15メートルの高さから滑って落ちたのだからただでは済まないだろう。僕と美容師は銀行員を救出するためそろそろと下に降りた。
二人 「大丈夫かっ」
銀行員「ええ・・なんとか大丈夫みたいです」
骨折でもしてないかと心配していたので一安心だったのだが、今降りてきた斜面を下から見上げるとすごく急な勾配なのである。
僕  「よう無事やったな」
銀行員「へへ・・・大丈夫っすよこんなもん」
やはり、おちょこちょいな奴だった。
美容師「どうします。今降りてきた斜面よりこっちの斜面のほうが登りやすそうですよ」
美容師は渓流をはさんだ反対側の斜面を登ろうと言い出した。
僕  「そっち登って帰れるんか?」
銀行員「大丈夫、上には道がありますからその道で帰りましょう」
僕  「でも勾配はなんぼか緩いかもしれんけど上までの距離は結構あるで」
美容師「大丈夫、大丈夫」
色白で華奢な美容師はそう言って反対側の斜面を登り始めた。
僕は銀行員に「あいつ体力大丈夫か?」と聞いたのだが、銀行員は「あいつは毎日立って仕事しとるんじゃけー大丈夫でしょう」と言った。僕は美容師の体力と銀行員ののんきさが心配でたまらなかったが、また二人の後について登りだしたのである。
斜面を登りだしてから約30分、僕と銀行員は美容師を追い越した。美容師は青白い顔をして必死に登っていた。それからまた30分ぐらいかかって、やっと中程まで登ったが下から見たよりその斜面はけっこうきつく、上から見ると下の渓流が真下に見えるぐらい急勾配なのである。「こりゃ、落ちたら死ぬで」僕は銀行員に話しかけた。銀行員は「降りましょうか」と情けない声で言ったが、たしかに降りた方がまだましかもしれないと、その時僕も思ったのである。降りるにしても相当危険を覚悟しなければならない。しかし体力的にも登り切るのはしんどすぎる。
二人で「よし降りよう」と決めた時だった。下から「もー動けーん」と美容師の情けない叫び声が聞こえてきた。僕はこの時、心の底から「ヤバイ」と思ったのである。銀行員からもいつもの笑顔は消え、「どうしょー」というような悲壮な表情に変わっていたのである。僕らは恐る恐る這うように美容師の所まで降りていき「もう降りよう」と言ったのだが、美容師は「降りる方がきついし恐い、登る方がまだましです」と疲れ切った表情で言ったのである。僕らは降りることを諦め美容師を励まし励まし、なんとか頂上にたどり着いたのである。
しかし、しかしである。なんと頂上には道らしきものはなく、辺り一面クマ笹に覆われた人など入った事のない様な所なのである。
僕  「おい、話が違うがな」
銀行員「おかしいなー」
美容師「・・・・・・」
斜面を登るのに2時間以上かけてしまい、太陽はだいぶ傾き、辺りは夕暮れ近くになっていた。
はやく帰らないと夜になって身動き出来なくなってしまう。「よし、緩やかな斜面からもう一度渓流に降りて渓流沿いに登山コースまで帰ろう」僕がそう言うと二人は力無くうなずいた。
いつの間にか僕が先頭になっていた。僕は焦っていた。頭の中に明日の新聞の見出しが浮かんできた。「広島の十方山で3人遭難。なぜこんな低い山で?」カッコ悪〜。
日本アルプスや大山なんかでの遭難だったらまだわかるが、なんせ1300メートルの山で遭難なんかできるか!しかし確実に帰れるというあては無いのである。渓流まで降りる間に野生動物の死骸やら骨などを目撃した。その度に僕らは顔色を失い、だめかなーと思うのであった。降りだしてから1時間ぐらいで渓流にたどり着いた。
「よっしゃ!もうこれで帰れるぞ!」銀行員がはしゃぐ。美容師も疲れ切った表情の中にかすかな安堵の表情がのぞく。僕らは腰ぐらいまで冷たい水に浸かりながら必死で渓流を下った。
しかし、山はそんなに甘くなかったのである。僕らの前に現れたのは、両側を切り立った岩に挟まれた、とても、とても深そうな淵であった。
最初僕は、「服を脱いで泳いでわたるぞ」と言った。「よっしゃ!」と銀行員はすぐに裸になったのだが、美容師の方を見ると青い顔をしてため息をついている。ぼくの脳裏に美容師が心臓麻痺を起こして淵に浮かんでいる姿がよぎったのである。
「やっぱりやめよ」僕はそう言ってため息をついて腰を下ろした。
「はあー、もうしかたないな。今日はここで夜を明かして、明日また体力が戻ったら泳いでわたろ」僕らはそこでの野宿を覚悟した。また僕の頭の中に新聞の見出しが浮かんできた。
まだすこし明るかったので僕は淵の両側にそそり立つ岩が登れないか見てくることにした。いくら体力が回復したと言っても、この11月の寒さの中で泳ぐのはちょっとつらいものがあったからだ。二人を残し最後の力を振り絞って岩に張り付いた。この時、僕は登山家の体力と精神力はすごいんだろうなーと思い、その日から登山家を尊敬しようと心に決めたのだった。
やっと、やっとの思いで岩を登った時であった。ふと、上を見ると草のない少し開けた空間が見えたのだ。何かなと思いそこまで登っていくと、なんとそれは朝登ってきた登山コースではないか!やっ、やっ、やった〜!助かった!この時のうれしさは登山家がエベレストに登頂した時よりうれしいぞ!と僕は勝手に思っていた。
二人もなんとか岩を登り切って登山コースまでたどり着いた。そのうれしさは銀行員と美容師とを多弁にし、帰りの道すがらでは、ずっとさっきまでの苦しさを笑い話にしていた。
美容師「平さん、また一緒に登りましょうね」
銀行員「また先頭で歩いて下さいよ」
僕  「こりんやっちゃな〜。二度とお前らとは、山に登らん!」
帰りに寄ったうどん屋で店の女の子が愛想が悪かったり、注文を聞き間違えたりしたが僕らは何故か微笑み、許していた。
「そんなこと、何でもない、何でもない」銀行員の言葉に僕らは「そう、そう」うなずき微笑むのであった。
めでたし、めでたし。

4/1
桜が咲いたというのにこの寒さはなんなんだ。夜桜に出かけた人は最悪だったと思いますがいかがだったでしょうか?
セリーグが開幕して開幕戦で阪神は巨人に大負け。今年もだめかーと思った第2戦目はなんと、なんと勝ったではないですか、これはひょっとしたら・・・・なんて僕もやはり単純で楽天的な都合のいい阪神ファンやな〜と思うのでした。今年はいつ頃まで楽しませてくれることやら。
土曜日にテレビで「植村直己物語」をやっていた。エヴェレスト登頂や北極圏犬ぞり単独横断などをやってのけたすごい冒険家の物語である。僕は個人的にこの世の中で一番強い肉体と精神力を持っているのは、登山家だと思っている。
その理由というのは僕が今から6年ぐらい前に一度、山で遭難しそうになったことがあるからだ。山と言っても広島県の十方山という標高1300メートルそこそこの山なのであるが、その時のことを思い出すとよく無事に帰ってこれたなと今でも思うのである。

「平さん、明日、山のぼろーやー」その銀行員の軽い一言でこの遭難未遂物語は始まったのである・・・・
ちょうどその頃はアウトドアブームとかなんかでバス釣りや、RV車、キャンプなどが若者の間で流行っていたころで、登山なんか中学時代に夏の大山登山でひどい目に遭って以来(前の夜に友達と騒いでいてあまり寝て無くて大山に登ってとてもしんどかった)、何が楽しくて山なんか登るんかなーと思うような僕でも、アウトドアってそんなに面白いのか、まあ一ぺん行ってみようかと思い、その銀行員と僕、そして銀行員の友達の美容師の3人で次の日出かけたのである。
銀行員と美容師は何度か登山をやっているみたいで靴とか服は登山用のどこどこのメーカーのナニナニと言う物でけっこう高かったとか、昼飯はロシアのなんとかスープを作るから楽しみにしといてください、とか結構楽しんでいたようだが僕はいまいち乗り切れず、カメラバッグに入れてきた一眼レフがやけに重いなと感じながら彼らの後をついていったのである。登山コースを僕らは歩き、昼御飯もロシアのなんとかスープと言う物を食べ、なぜか唐辛子の入ったチリビールというやつを飲み、気分も少し軽やかになってあっと言う間に頂上につき、おきまりのヤッホーを2回ぐらい叫んで、よし帰ろうかと言うことになったのだが、ここから気配が怪しくなる。頂上に着いて帰ろうとした時刻がまだ1時ぐらいで、早かったこともあり銀行員は「ちょっと早いけー滝でも見て帰ろう」と言いだし登山コースからはずれて僕らは歩き出したのである。そして・・・・・つづきはまた来週。
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