2021年 ぶらぶらフォト日記


 

4月10日(金)


北山貯水池から北山を抜けて家まで歩く。

甲山がもこもこしてきていた。

父のオリンパスを持って行く。

露出があってるのかどうかはっきりしないが

シャッターは軽快に切れた。

真砂土の赤茶けた道、つつじ、山桜、青い空、

昔、僕が育ててもらったよろこばしい風景を探しているんだと思った。

帰ってやる焼酎が美味しかった。



* よろこばしい風景 という言葉は、詩人の長田弘さんの「なつかしい時間」

   という本から引用させてもらった。 いい言葉やな~












 
 
 
3月30日(火)


ニテコの桜も今が見ごろで、

黄砂に霞んだ甲山がその風景をいっそう引き立てる。

父のオリンパスで1枚撮る。

あの日から何回目の桜かな、

そうあの日から・・・


あなたはまた来年も咲くんやろね。

そう思いながらシャッターを押した。

カシャ~ンと大きい音がして何かが撮れた。

それが何だかは現像しただけじゃわからんのよね、


やっぱり。












 
 
3月28日(日)


前の公園の桜が今年も咲いた。

夜、花の下で一杯やった。

はんちゃんが桜の木に駆け上がり、ミーが土の上でごろごろした。

クーやペケが桜の木に駆け上がり、チュンやポンがごろごろしたのはもう何年前だった?

足が悪くなったアスターが桜の花びらに埋もれたのはいつのことだった?

なぜか寂寥という言葉がでた。












 
 
3月18日(木曜)


穏やかに晴れて、屋根の上からは青い琵琶湖、その奥には近江富士がくっきり見えた。

屋上の緑化で植えられた植物の若芽が黄緑色にキラキラ輝いていた。

もうすぐ桜か~と、現代アートのことと広島の少年のことを想っていた。












 
 
3月8日(月)


早春の森を抜けて

3人で標高300メートルの頂上を目指す

途中「もう帰りたい」と言った彼は

弁当を食べておやつを食べて立ちションしたことを

50年後、覚えているだろうか

僕は頂上の草の上に寝転がって

青空をバックにクスノキの写真を撮った

50年後、この写真はあるだろうか












 
 
2月23日(火)


一つの心が壊れるのをとめられるなら

私の人生だって無駄ではないだろう

一つのいのちの痛みを癒せるなら

一つの苦しみを静めれるなら


一羽の弱ったコマツグミを

もう一度、巣に戻してやれるなら

私の人生だって無駄ではないだろう


                   エミリ・ディキンスン   翻訳 長田弘












 
 
2月11日(木)

僕が撮ってるのは、ぶらぶら写真と建物風景、甲山、そして竣工写真、だいたいこの四つ。

一番多く撮っているのは竣工写真、時間かけて撮ってるこの竣工写真でやらないとね。


今日の写真は、和泉屋勘兵衛さんの 「方庵」  2009年









 
 
1月30日(土)


もし、僕の写真が価値を持つとするならば、それはきっと僕の知らないところでなんだろう。

継続してさえいれば大丈夫、日々の生活の負担にならないように。

でも、データやフイルムじゃなくて、なんとか紙にのこしたい。

カメラやプリントの品質なんてどうでもいいし、

安いペラペラの紙にインクジェットで十分。

継続してのこす、後の判断は他人がすることだ。

本人の知らないところで必要性は生まれる。












 
 
1月22日(金)


本山周平さんの写真集「日本」が届く。

2010年から2020年までの10年間の彼の仕事、

2000年から2010年の「日本」という写真集もある。

パキッとわかりやすくてとてもいい。

一口に10年って言うけど、この積み重ねこそがこの写真集なんだと思う。

場所とかアングルとか人の表情とか、人の入れ方も素晴らしいけど、

この写真集のキモは、この写真家の時間の堆積なんだろう。

全部売り切ったとしても何年も暮らせるわけじゃないし、なかなかなんだけど。

でも日本の写真を支えているのは、こんな人の地道な活動だと思う。

背筋が伸びる。









 
 
1月15日(金)


「現像所から上がってきたプリントに、僕は一切文句を言わないようにしてるんよ」


なんかの話の中で先輩のカメラマンAさんが言った。 もう10年以上前のことだ。

プリンターとのやり取り、ダメ出しはとってもしんどいけど大切な仕事、それをしないなんて。

そりゃあダメでしょう、とその時は思っていた。


でも最近、この言葉がじわじわ沁みて、Aさんのすごさがわかってきた。  

今でも現像所から上がってきたプリントに、もっと明るく、もう少し赤味抑えて、

なんてダメ出ししてしまう自分がなんか、ちっせーな~ って時々嫌になる。

任すということは信じることで、信じるということは責任を取るということ。

Aさんはそれをやっていた。言いたいところをぐっとこらえてそれを。


写真って、最後は何を撮ったかじゃなくて、誰が撮ったかだと思う。

今日、他の人のやり取りを聞いていて、Aさんの柔和な横顔を思い出した。












 
 
1月6日(水)

背中が大切だと思った。

怒りもせず淡々と、声を出しながら相手に向かって走っていく。

目が合うとにやにやと何も言わない。

ひとり黙々なんか食べてる。

人がミスすると少し悲しそうな目をして、にやにや笑った。

言った、言わないなんて、そんなことはひとつも無かった。

ひたむきに相手にあたる背中があった。

僕が高校1年生の時のキャプテンの雰囲気と同じだった。

1月2日のテレビの大学選手権で、背中で引っ張る人を久々に見た。

今回は残念やったけど、次のステージでまた君を見たい。












 

1月1日(金)

あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。

昼前に廣田神社へ初詣、やはりいつもよりは参拝客は少ないみたい。

いい天気で、清々しい元旦。

アロエの花が咲き始めている。

元旦のお屠蘇を天狗寺陶白人さんのぐい吞みでいただく。

手にした時の重さのバランスが素晴らしい。

ごつごつした印象とは全く違う優しい飲み口の感覚に驚く。

酒がすすみすぎるのは少し困る。

今年もいつもと変わらないように撮っていきたい。