2023年 ぶらぶらフォト日記


 


5月29日(月)

光のことを思っていた


僕の竣工写真の場合

竣工写真はハレの写真だから

晴れで撮るもの

とある人に言われ

なるほど

とその言葉がとても腑に落ちて

出来る限り晴れで撮っている


でも先日ある写真家が

「その時の光で撮りますよ

一期一会の光なんだから」

と答えていた


一期一会の光

素晴らしいな












 
 


5月25日(木)


久々に

建築文化1999年9月号を見る

独学の僕の先生は

雑誌の中の

写真家Philippe Ruault (フィリップ・リュオー)

コントラストのきいた大らかな写真

普通の建築写真よりひと回り狭い画角

なのに伸びやかで

シンドラーの家が素直に写っている


見返すたびに

まだまだやなあと思う

でもこんな建築写真が撮りたいと

20年以上思いが変わらんということは

まあ

ええことなんじゃろう

かな












 
 



4月25日(火)


スティーブン・ショアの写真が

リアルだという人がいるけど

僕はそうは思わない


リアルというなら

関西で撮ってる

藤原勉という写真家の

写真を一度見てみればいい


しかたなしに撮ってるその光の澄んだ切なさは

間違いなくリアルだ


いいとこ選んで撮ってるショアの写真は

僕には絵画に見える

まあショアも好きやけどね












 
 



3月30日(木)


どんなときも、

人は風景の中に生きています。

風景のない人生というのはありません。

風景を生きること、

自分がその中に在る風景を生きることが、

すなわち人生というものなのだといっていいかもしれません。


にもかかわらず、

日々を共にする目の前の風景ほど、

人がもっとも見ない、

見ていない風景もまたありません。

たがいの人間関係がすべてであるような毎日を前にすると、

風景はそうした毎日の背景のようでしかなくなりがちですが、

違います。

後になって振りかえってみると、

心に鮮明にのこっているのは、

ずっと背景にすぎなかったはずの日々の風景であることに気づきます。



           詩人 長田弘さんの なつかしい時間 より



今日の写真の風景は

僕の中に鮮明にのこっている


母の畑を雪がかくした












 
 

3月13日(月)


母の納骨の日は

ぽかぽかといい天気で

歩いて墓から帰っていると

小さいころから見ていた

那岐の峰が見えて

なんか

ええなあと思った


またはじめよう













 
 

2月2日(木)

1月23日から黒坂に帰っていた


24日の夕方から大雪ですごく積もった

朝早くから弟は雪かきをしていた

僕は母の線香が消えないように見ていた


雪は静かに降り続いた












 
 

1月10日(火)

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


元日は甲山の頂上へ登り

三角点に手を合わせる


今年も穏やかに

撮れればいいな