2020年 ぶらぶらフォト日記


 

11月21日(土)

シャッターを押せば簡単に写って、何枚でもプリント出来てが写真の強みなんだろうか。

沢山撮ってプリントして、それからいいやつをセレクトして出来た1枚と、

1枚しか撮れなかった1枚にどれほどの違いがあるのか。

写真の弱点は数じゃないのか、量じゃないのか。 多いと思う、もちろん僕もそうだ。

14年ぶりに尾仲さんのワークショップに参加して思ったこと。












 
 
 
11月8日(日)

先月、実家の近くで撮影の依頼があり帰る。 通っていた小学校の近く、もう50年も前のことだ。

なんとなくわかるが、なかなか記憶と目の前の風景とが結びつかない。

それでも路地の感じと、あの頃のままで残っているいくつかの建物であの頃の思い出がよみがえる。

風景になる建物にはそんな力がある。

今回撮影したこの建物も、そんな風景になって残っていくんだろう。

今遊んでいるこの小さい子たちが50年後、「あ~この建物覚えてるわ」なんて。

撮影の次の日は父の33回忌法要、帰りには豆大福のような子猫をあずかって帰った。












 
 
10月23日(金)

YとMを連れてエストモさんと甲山に行く。 

標高300メートルぐらいなのだが、さすがに5歳と3歳の子らに頂上は無理かなと森の中を歩く。

足元をよく見て歩くこと、両手はいつでも使えるようにしておくこと、走らないこと・・・

風の音、鳥の声、展望台、キャンプ場、おやつ、アザミの花の名。

仁川の上流の、ごろごろある石に座って弁当を食べた。

思っていたよりしっかり歩いてたので次は頂上に行ってもいいかな。












 

 10月10日(土)

佐用の思い出は小学生の時。

砂場の相撲で投げ飛ばした相手が骨折、佐用の病院に入院してそのお見舞いに母と一緒に行った時のこと。

もう50年も前のこと、ほぼほぼ忘れてしまった。 いっちゃん元気にしてるかな。


姫路から勝間田に向かう姫新線の佐用のあたり、車窓から見る黄金色の稲穂と真っ赤な彼岸花、

向かいの席に座っているおばちゃんに変な顔してにらまれても、撮らずにはいられなかった。












 
 
9月28日(月)

めっきり涼しくなってきた。

今月は福井三国、熊本八代の出張、ぼ~っと車窓から風景を眺めるのが楽しい。 

琵琶湖や福井近くでやってる東北新幹線の工事、広島の街並み、太田川、小倉の海辺の煙突、筑後川・・・ 

振り返ってみれば、心に鮮明に残っていて一番に思い出すのは、大切な人の顔や思い出の数々じゃなく、

ぼ~っと眺めていた何気ない風景なんだと気づく。

昔アスターと散歩した川沿いの歩道が見えた。












 
 
9月7日(月)

志はありがたい。

ただ、忘れやすいので、いつも問うようにしよう。

今、自分は何をしているのか、

しようとしているのか。

それは志のために必要か、

そうでないか。

写真業を始めた時に立てた志は何とも大きな志で、

なかなかだ。

でも、これさえあればやっていけるような気がして

今日もやってる。


今日の写真は2009年、イタリアポンテノッサ。












 
 
8月26日(水)

インスタグラムに清野賀子さんの写真集入荷しましたと出ていた。

おっ!と思ってのぞいてみたら120.000円 ・・・


生前出された彼女の2冊の写真集は確かに心にくる。

末期の眼で見た風景だからなのか、

それとも僕が末期の眼で見られた風景だと知っているからなのか。


夕方、そよぐ柳を1枚撮った。












 
 
8月17日(月)

このプリントは、この先どこへ行くんだろう・・・ 

前回書いたこのことをずっと思っていた。


大阪の暑さは半端なく、三脚が壊れてとぼとぼ帰る。

45年ほど前の夏に来たことがある大阪の街並みに似た風景、

あの頃の匂いをかぐことはもう僕にはできないけど、

その風景は僕に何かを思い起こさせてくれた。


そうだ、今まで撮った写真は最後、仏壇の前にそなえよう。

おじいちゃん、おばあちゃん、おとうちゃん、ご先祖様、僕はこんなん作りましたって。

後はどうでもいいことだ、うん、それだけでいい、それだけで。

そのために撮って作ろう。


今日の写真はエミリオの山荘の犬走に書き込まれた

ART IS  LIFE  そうだよね、エミリオ。







 
 
8月4日(火)

初めて銀塩カラープリントを焼いた。 

よくカラープリントは針の穴に糸を通す感じだと聞くが、まったくその通りだった。

しかし考え方次第で針の穴がドーナツの穴にもなる。 

きりがない、全暗黒の部屋の中で思った。 きりがないと。

だけどそこで焼き上げたプリントはこの世で1枚だけのプリントだ。

きりをぎゅ~っと閉じ込めたこのプリントは、この先どこに行くんだろう。

昨日、スマホが壊れた。












 
 
7月28日(火)

2009年に行ったイタリア旅行を2010年にまとめてBURABURA7を作った。

僕にとっては写真集の後の方に入っている西宮のカットが強く印象に残っている。

YOU TUBEにアップしてみました。よろしければどうぞご覧ください。














 
 
7月25日(土)

最後の1匹になったペケが最近大きな声で吠える。

ご飯でもトイレでもない

暗いベランダに向かって足を踏ん張って一生懸命

「みんな、どこ行ったんや~っ!」

きっとそう言ってるんだろう。


今年は梅雨がなかなかあけない。












 
 
7月22日(水)

YOU TUBEにアップしてあるPRETTYBOXを久々に見てみた。

時間が9分と長く、途中でくたびれてしまうので、同じく9分ぐらいある今お気に入りの馬場俊英「ロードショーのあのメロディ」という曲をBGMにして見てみた。 ちょっとジ~ンとなるのは僕だけかな。

















 
 
 7月18日(土)

 建築は箱だと思っていた。 

 でも今は、

 建築は森だと思っている。












 
 
7月17日

パソコン用の眼鏡を近くの眼鏡屋に作りに行く。 

かけていった古い眼鏡を「洗っときます」と若い店員に言われ渡した。 

帰って鏡の前に立つとなんかちょっと違うなと気付き、

眼鏡を外して見てみたら鼻パッドのところが新品になっていた。

あの店員なんも言わんかったな~ 若いの、なかなかやるやないの。













7月16日(木)

今日の写真は今年4月、奈良興福寺南円堂。 

コロナの影響で人影はまばらで、

自由にカメラが構えれたので赤い扉を撮った。 

すみのところに小鹿がいた。












 
 
 
6月29日(月)


ある日、早春の、雨のむこうに、

真っ白に咲きこぼれる

コブシの花々を目にした。

そして、早春の、雨のむこうに、

真っ白に咲きこぼれる

コブシの花々の声を聴いた。

見ることは、聴くことである。

コブシの花の季節が来ると、

海を見にゆきたくなる。

何もない浜辺で、

何もしない時間を手に、

遠くから走ってくる波を眺める。

そして、何もない浜辺で、

何もしない時間を手に、

波の光がはこぶ海の声を聴く。

眺めることは、聴くことである。

聴く、という一つの動詞が、

もしかしたら、人の

人生のすべてなのではないのだろうか?

木の家に住むことは、聴くことである。

窓を開けることは、聴くことである。

街を歩くことは、聴くことである。

考えることは、聴くことである。

聴くことは、愛することである。

夜、古い物語の本を読む。

― 私の考えでは、神様と

   自然とは一つのものでございます。

読むことは、本にのこされた

沈黙を聴くことである。

無闇なことばは、人を幸福にしない。


          古い物語の本(ドストエフスキー「悪霊」)


長田弘さんの 「世界は美しいと」 というし詩集の中の 聴くという一つの動詞 という詩。



今日の写真は春にエストモさんが育て始めたミニトマト。 今、実をつけて1日おきに食卓に彩を添えてくれる。












 
 
6月15日(月)

今までやってきた作家活動を、ホームページで少しずつまとめてみようとやっている。 今回アップしたのは2012年に岡山でやった アートの今・岡山2012 風景をこえて に出品したunnatural(アンナチュラル)3点。 作品説明と作品の文章を英訳してもらったので外国人にもわかるはず。

この作品は制作方法でクレームが入ったり、難しすぎてようわからんとか、色々世間の評判はいまいちだったような気がしたが、僕はすごい作品ができたな~と今でも思っている。 でもね、もう一度同じようなのをやれと言われてもできそうにはないな、なんかこう バチ~ッ と一瞬のスパーク、みたいな感じなんよ、あれはね。

展覧会出品作品のところからお入りください。 今日の写真も公園の人気者ハンちゃん。












 

6月7日(日)

久しぶりに本屋に行くと気になる写真が載ってる本を見つけて、帰ってネットで調べてみたらその本はもう在庫が無いらしく、急いで本屋に引き返したけどコロナウイルスの影響で本屋は早仕舞いしていて、次の朝一番で行って買った。

曇天の光、夕日の最後の一光、緑色のウチッパナシの壁、写真家はこの瞬間を待って撮っているのか、いやいやそんなことはいくらなんでもできんでしょう、と自分に言い聞かせてみたものの・・・ 建築家はスイスのクリスチャン・ケルツ、写真家はWalter Mair、いい本だと思った。

今日の写真はハンちゃんとエストモさん。ハンちゃんは公園の人気者なのでちょっと心配。












 
 

5月15日(金)

神様が僕の前に現れて「現金3000万円と3000万円の借金なんてなんとも思わない強い心とどちらが欲しい」と聞いてきたので考えた。  みなさん、ふにゃふにゃ生きていきましょうね。












 
 
 
5月1日(金)

だいぶん前に、ライオンが描いてあるショールで作った冠布を使っていたことがあった。 ある日一緒に撮っていたカメラマンから「平さん、それどうしたんですか~」なんて言われて、少し恥ずかしくなって普通の白黒の冠布に戻した。 今日パソコン作業をしていて聞いていたBGMで、さだまさしの「風に立つライオン」が流れてきて、そのライオンの冠布のことをふと思い出した。

それと同時に、あらためて今コロナウイルスで命懸けで頑張ってくれている医療従事者の方々のことを想い、心から感謝したいという気持ちになった。今日の写真はそんなみなさんに捧げたい。ほんとにありがとうございます。












 
 
4月11日(土)

入江泰吉記念奈良写真美術館へ尾仲さんの個展を見に行った。 コロナウイルスの影響で催し物は中止になったが、展示は見ることができた。 コロナウイルスの影響と平日なのとで人気のない会場を一人で見て回る。力の入りようが伝わってくる。知っている写真も多く展示してあり、写真集の中の写真とオリジナルのプリントとの違いがよくわかった。色が違うとか濃度が違うとかじゃなくて、オリジナルプリントには確かに凄味が感じられた。

尾仲さんの展示の前に、いつものように入江さんの写真が展示してあったが、今回の写真もすごくよかった。 まだまだ若いもんには負けんぞといった感じで、入江さんのライフワークである奈良の田舎のスナップ風の、どこか尾仲さんの写真に通じるところが感じられる「道」の写真だ。 旅して撮る人と近くを撮る人、手持ちのニコンと三脚に据えたリンホフの違いだけで、写真家が反応した被写体の違いはほとんど感じられなかった。

誰もいない映写室で入江さんのビデオを見ていたら「いい写真を撮るより、撮り続けることの方が大切なんだ」という言葉、入江さんも尾仲さんも僕に写真家の生きざまを見せてくれ、教えてくれる。 いい写真だったな~って、ぶらぶら歩いて近鉄奈良駅まで帰った。 あちこちに桜が咲いていた。


今日の写真は北陸新幹線の工事中、福井あたり。












 

4月4日(土)

先日行った大阪の現場近くに真田丸跡があって、建築家の方と歩きながらその独特な地形は、確かにここに堀があったんだと思わせる。 

天気予報が外れ、ねばったが外観は撮れず延期にした。 空を見上げながら真田幸村もこの近くで「あ~っ くそ~っ」って叫んだかな・・・ いや、でも違うな、彼はたぶんこう言ったんじゃないかな 「しょうがないわ」 って。   

志村けんがコロナで逝った日、しょうがないけど志村、あなたはすごく面白かったよ、ありがとうございました。

今日の写真は阪神石屋川あたり。












 
 
 
3月25日(水)


「世界に希望が残されているとしたら、それは名も無き人々の中にある」 

朝早く、撮影に行く準備をしていた時にテレビから流れてきた言葉になんかすごく感動した。 ゲド戦記の中にある言葉だそうで、翻訳者の清水真砂子さんが語られていた。

玄関を出るとキリッと冷えた空気で、澄んだ光が前の公園の桜が咲かせた、数えられるぐらいの花びらを綺麗に輝かせていたていた。 がんばろうと思った。

All the hope left in the world is in the pepople of no account.












 

3月7日(土)

コロナウイルスはまだまだ終息しそうになく、普通の暮らしのありがたさを感じる。

マスクをしてニテコ池を散歩する。 早くも花の開いた桜の木、水面をくるくる回っている鴨たち、切られた老木の株の下でじっと伏せている黒猫、動かないアオサギ、エストモさんがこの鳥は珍しいのよと教えてくれた鳥の名前はもう忘れた。

「しょうがないわ」という言葉が最近心地よく聞こえる。 甲山が近く見えた。












 
 

2月27日(木)


ハイツラビアンローズの角にスイセンが咲いて、瞬間見るだけだが、なんかいい。

自分が手間をかけるのは嫌だが、他人が手間をかけてくれるのはうれしい。 手間ってそんなことだ。












 
 
 
2月22日(土)

朝、おばが亡くなったと母から電話があった。 きれいな青空の朝で、白山の見える現場だった。

雪を頂いた白山は神々しく白く光っていた。 ただただ合掌と感謝しかない。 ありがとうございました。












 
 
2月15日(土)

フェイスブックでやってるのは2010年に高知へ行った時の写真。 つつきたくなるのをぐっとこらえて撮ったままで、撮った順番通り日々アップを続けること。 それが何になるかはやってみんとわからんね。











 

2月13日(木)

気温が下がるといい写真が撮れると思っている。

このひとは一人で撮っているんだろうと感じさせる写真が好きだ。 たとえそうじゃなくても。











 
 
2月12日(水)

芦屋の浜の方にある処理場は通るたびに撮ってしまう。 

なんかロンドンのテートモダンぽくって好きだ。 とても寒い日で、カメラを持つ手がかじかんだ。











 
 
2月6日(木)

いろんな人が灯してくれた灯りに向かって進んでいけばいいと思う。 感謝しながら。 

漂白と定着の匂いに20数年前を思い出し、いろいろ想う浴室の中。












 

2月3日(月)

これから先、自分に何ができるかわからないし、大したこともできないだろう。 ただ続けるということは自分の意思でできるんじゃないかと思う。 今年の甲山は寒くない。












 
 

1月28日(火)

津山の北に加茂というところがって、そこに陶芸家がいて、面識はないけど、奈義の個展の時の芳名帳に名前を書いてくれていて、フェイスブックで友達になって、それから何年か作品や花や犬の写真やコメントや活動を伝えるものを読み、人柄や考え方が伝わってきて、僕はその人をすごく尊敬していた。

フェイスブックにとてもいい盃の写真がアップされて、これで飲みて~ってコメントを入れたら平さん飲みましょうとコメントを返してくれた。 そんな先輩に今日の写真を捧げたい・・・ 合掌  一緒に飲みたかったな~












 
 

1月21日(火)

先日、京都の宇治で撮影があり、早く終わったので宇治川を見て帰ろうと思ってぶらぶらと歩いたがマーマーの距離があって、宇治川に着いてスマホで位置を確認したらもう少し歩けば平等院鳳凰堂に行けることがわかりまた歩いた。

ぐるぐる廻りってる間に2回、スマホのボタンを押してくれと頼まれた。 中央から撮るより少し右か左からのアングルがいんかな、肝心なところに植栽があって撮りにくいな、などと思いながら平等院ミュージアムへ入ってみる。 廊下のようなところに掛けてあった土門さんの「平等院鳳凰堂夕焼け」という写真、鳳凰の乗る屋根と夕焼けの空を少し右から撮ったものだが、構図もちゃんと決める間もないようなあーあーといった焦った感、なんか土門さんがイライラしながら撮っている姿が目に浮かんだ。なたの切れ味、人間味のするいい写真だった。 帰りには雨が降りだし、宇治茶を買って帰った。












 
 

1月14日(火)

しばらく置いておいた尼崎の現場の写真集校正を見る。 動かない、もう何も入れたり出したりしなくていいと思った。

150枚、よこしまな思いは一切ない。 ただ感謝あるのみ。 完成までもう一頑張りしよう。












 
 
 
2020年1月3日(金)

あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。

今年もいつも通りの写真生活が出来れはいいと思います。 まとめんといけんもんもあるけど、無理せずマイペースで、慌てるとろくなことがないからね。 

今年は建物風景を意識的に多く撮っていきたいと思っている。 2011年の奈義の美術館の個展からずっと思い続つけている建物風景、少しずつでも作品が作り出せれたらいいなと思っている。なかなか忍耐のいる仕事なのでこれも無理せずにだが・・・ 長い仕事になるんだろうな。

今日の写真はエストモさんの吊るし柿、今年もおいしいのができました。