COMMUNICATION
REM art BOOK NO.1
MAY 30 2012 
essay.illustration S.TOMO
イラストタイトル 昭和の彼女
  
マックス エルンストを見ていて、眠気に襲われ、
横浜美術館のベンチに腰掛けたまま眠ってしまいました。
どこに行っても、何を見ていても、不意に眠くなります。
爺さんはすぐ眠くなるから、とテレビで言っていたのは、
蜷川幸雄だったっけ。
それが私にちょっと受けて、そうなる度に思い出します。
・・・婆さんもだわ。

桜の頃は、凄い賑わいなのよ。
という話を聞きながら、歩いていたら、
右手に千鳥ヶ淵戦没者墓苑の入り口でした。
ああ、ここがそうなのか。
広場の正面に建つ六角堂に安置されている陶の棺に、
菊の花を一本手向けて、手を合わせました。
神も仏も見あたらなくて、誰に向かって祈るのか明確で、
私には簡潔で、清しく思われました。

タツノオトシゴ形の日本列島を中心にした地図に、
赤い線で囲った、
地域ごとの戦没者の数が書かれている資料を手にして、
フィリピンだけで、五十一万八千人。
父は戦争の体験を母にも話したがらなかったようで、
言葉にできないほどの何があったのか、
想像するしかありません。

私のお父さん、南方に行ってたの。
私の父もそうだと思うわ。

二人の青年が帰っていなければ、
私も友人もここには居なかった。
それは、私達の人生が初めから、無かったということで、
これまであった、あの悩みも、あの思い出も、
なんにも無かったという事で。

私の最初の記憶は、
飯台の前に胡坐をかいた父の膝にもたれて眠り、
ずり落ちて抱き上げられる感触だったように思います。
一歳か、二歳の間ぐらいの頃か、
飯台の上には、おそらく、酒と杯があって、
肴が何も無いのよ、と言う母に、
この子が居れば、僕は、この上何も要らないよ。
と、父が言っていたとか。

そこに在ることと、無いこととの、中間はありえない。
分かち合うことのできないものがある。
ということを、考えていました。
たとえば、
陶棺の下で眠るものと、地上に生き残ったものとの間で。

電車の中で、持っていた本を伏せて、
あることと、無いことの違いはゼロである。
という前提で、思いを巡らそうとしましたが、
いつものところで、また眠くなってしまいました。
時空間のイメージは霞の中です。

旅行中に、ベランダで、去年採ったゴーヤの種が
二つ芽を出していました。
金環日食やスカイツリーで、
みんなが、空を見上げている絵を想像すると、
それは、なかなか可笑しいなあ。
もしかしたら、地上のややこしい問題から、
一時でも気をそらせて、機運をあげようとする、
誰かの戦略だったら、
それはそれで、たいしたものだ、と感心しながら、
私はその頃、下ばかりに気をとられていたようです。
 五月の四週目