2022年 ぶらぶらフォト日記
 



 
12月31日(土)


写真と言葉の間には

何があるのか

それは記憶だ

つまり精神があるということだ


言葉があって写真があるんじゃなく

写真があって言葉があるんだ


今日で今年も終わり

時間よ止まれって思うこともあるけど

来年も撮ったり思ったり

一生懸命やって行こう


今年もありがとうございました

来年もよろしくお願いします

よいお年をお迎えください












 
 
12月30日(金)

先日

小さい子たちと美術館

リー・ウーハン


手を引いていた子が

ステンレス棒の作品に

手を伸ばした時

後ろから「あーーーっ」と大きな声

びっくりして少しにらんだ


係りの女の人は

「すみません」と言ったが

仕事だからしょうがない


だけどリーさん

あんたこんなんでえんか?


芸術は無償無条件

岡本太郎が言ったこの言葉の重みを

みんな少しは考えようよ

金 金 金じゃつまらんわ













 
 
12月18日(日)


寒い風の中

自転車でフイルムを

現像に出しに行く

腰にはT2

空にはいい雲が流れていく


当然色々あるわけで

一つ一つやって行こう


サザンカ赤く咲いて

耳が冷たい


明日は母を見舞おう












 
 
11月3日(木)


写真と言葉の間には

何があるんだろう

この前ふと思った


なかなか難しい

これから先も

思い続けていくんだろう


でも

たとえ答えが出なくても

それはちっともかまわない












 
 
10月2日(日)


きれいな夕焼けで

月が澄んでて

今日の散歩は秋を感じた


この感じは子供のころに

稲刈りの終わった田んぼで感じたのと同じだ

煙なんかが漂って匂ってくると

50年ほど前の景色が浮かぶ


あの風景の中に

みんなあって

みんないた












 
 
9月8日(木)


あの頃

路上で見ていた風景は忘れられない

ずっと居ちゃあだめなんだろうが

見てみるといい


夏は街路樹の影に助けられ

冬は熱い缶コーヒーをポケットに入れて

急な雨はしかたなく濡れる


弁当を食べれる公園がある日はラッキーで

道路に座り込んでたびたび食べた


心身ともにきついけど

なんかその分、目は澄んできて

いい写真が撮れるような気分になった


あの頃の写真は

形にして残さないと、とは思うが


その写真は人に見せるための写真じゃなくて


僕の中で静かに編んで行く

大切な写真なんだろう



今年の夏も暑かったけど

みんな元気だったかな












 
 
8月16日(火)


盆前に久々に帰る


足の調子が悪い母に手をかし

その温かい小さな手をとった時

啄木のあの詩がふと浮かんだ


時は確実に進んでいて


草刈りした墓がきれいになった








 
 
7月27日(水)


ときどき小さい子が来て

僕のデジカメを無断で使って色々撮る


なかなかいいのもあるので

黙って使わせてあげる


僕の顔のアップもあり

見るたびにガックリする

鏡で見る顔と写真で見る顔

何でこうも違うのか


写真で見る顔がほんとうの顔だったら

ちょっとまずいな~











 
 
7月1日(金)


ライフワークの建物風景は

奈義の個展からもう11年経った


パワーをパワーをと思いながら

これって何かの役に立ってんのか?

なんて変な理屈に入り込んで

なかなか抜けられないでいる


そもそもライフワークって何なのか

そこのところをもう一度確認する


人生を通してやり切ること

スナップで建物を撮ること 

ただそれだけ


体の中からは

ラストスパートだよって聞こえてくる


マイライフワーク

ぼちぼち本気でやらにゃあいけん時がきてるんだろう













 
 
6月1日(水)

森山さんは写真は記憶だと言った

小林さんは記憶は精神だと言った


写真は精神であり

精神は写真であるということか


ああ この論理は確かに成り立つ












 
 
5月10日(火)

フェイスブックでやってた金沢旅行の写真が終わったので少し書いてみた。


何故か今日のこのタンクの写真で、15年前の金沢旅行の写真は終わっている。

この年の6月にアスターが死んで、車の後部座席から聞こえてくるいつものハーハーという

騒がしい息づかいもなく、エストモさんと二人で舞鶴の方から金沢へ向かった。

金沢はエストモさんの故郷で里帰り、僕は金沢の街や手取川、内灘のあたりをぶらぶら撮って歩いた。

今回の写真は撮ったままで、順序もそのままアップしてみた。

ほぼ毎日、1年と8か月にわたり写真をアップすることによって写真を撮ること、

見せることってどういう事かと、少し想いながら続けてみた。


帰りに寄った永平寺でエストモさんの帽子に赤とんぼがとまり、いつまでも逃げずにダムまで付いて来て、

ダムの上からサーッと飛んで、エストモさんが「アスターが赤とんぼになって付いて来たんや」と言った時、

ああ、そうじゃなあ としみじみ思い、ちょっとウルッとなった事を憶えている。


長い間のお付き合いありがとうございました。



しかしまあ

撮ること、見せる事がどんな事かなんて

まったく、よくわからない

そんなことより

アスターが赤とんぼに生まれ変わったことを

間違いないと思えたあの時の気持ちを

今回また思い出せたことが何よりうれしかった

無駄じゃなかったわ

写真ってすごい力あるわ












 
 
4月29日(金)

桜はとうに終わって

もうゴールデンウイーク


今日は雨で少し寒い

竣工写真のデータ作りと

自分の写真の整理

テレビからは

ロシアのウクライナ侵攻

知床の観光船の事故

などなど


なんも変わらない












 
 
4月2日(土)

今年も桜はちゃんと咲いて

ちゃんと一つ年を重ねる


気が付くと大台まじか

まだまだ元気なのだが

10年前の元気とは

ちょっと違う


やってわかることと

やり続けてわかることとは

まあまあ違う












 
 
3月12日(土)

20年ぐらい前に撮った物件をアルバムにする依頼があり

フイルムを探し出して1枚1枚スキャンしてデータを作る

あの頃使ってたポジの4×5は

まだまだ色あせせず

カキ~ンとした画像で

飛んだり潰れたりはあるが

勢いがあり

なんか逃げてない感じが

なかなかいいじゃない

自分で言うのもなんなんですが・・・


しかしながら、まあ自分みたいなカメラマンに

よくぞ仕事をくれましたと、いまさらながら

クライアントの方々に

心から感謝、感謝ですね

あっという間の20年ですね

これからも一生懸命

撮ろうと思います












 
 
3月6日(日)

この世界には戦争を欲している人がいる

このことが今回はっきりした

それがどいつか、はっきりと見抜く目を鍛え

偽善者の中に入って考えることが大切だ


それにしてもウクライナのことを思うと悲しい

侵攻され破壊される前の、

何気ない風景の中で

何気ない暮らしをしてた人々

何気ない街の風景を

何気なくスナップしていたカメラマン

何気ない・・・ 大切にしたい












 
 
2月12日(土)

ハッセルには色々と思い出があって

写真でやって行くぞと決めた時に

ハッセルを新品で買ったこと

その後、どうしてもお金がいることがあって

売ってしまったこと

それからしばらく使ってなかったが

お世話になっていた会社の人が

広角のハッセルSWCを貸してくれて

長いこと使わせてもらって、昨年返しに行ったこと

そういう人生のポイント、ポイントを

ハッセルははっきり思い出させてくれる

僕にとっては、ありがたいカメラなのです












 
 
2月5日(土)

最近、写真に言葉を付けている

軽いキャプションのつもりで

撮った時のことを留めておくために

でも、どうしても言葉が出てこない写真もあるわけで


しばらく続けてみようと思う












 
 
1月11日(火)

年末に四日市の方で撮影があり

前の日の夕方に少しブラブラした

空気がキーンと冷えて

空がとても綺麗で

日陰には雪も残っていた

10年ほど前に撮ったマンションを見つけて

お~あったあったとなって

うれしいとかでは無いけど

なんか

いい気分がした












 
 
1月6日(木)

言葉で言えない写真もあるわけで

そういう写真に言葉をそえると

あ~ウソ言ったな~みたいになって

後悔するんよ、後で











 

1月3日(月)

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。


これをやろうというようなことは特にないけど

去年ぐらいからライフワークの意味というか

なんか自分なりに見えてきたようで

今年はそれを少し深めていきたい