〇〇1年 10月のカメラマン平のぶらぶら日記


10/31

先週は梅田周辺をぶらぶらした。けっこういい感じの写真が取れたと思うのですが、まだ現像してないので、しばらくお待ち下さい。

今週の写真は「シッポの見ていた空」と「ベランダのシッポ」です。前にぶらぶら日記に書いた今はなき野良猫シッポです。夏の昼下がり、シッポがベランダに出てボーっと何かを見ていました。何を見ているのだろうと思いシッポが見ているほうを見てみました。するとそこには一つの雲がぽっかりと浮かんでいました。シッポが死ぬ10日ほど前のことでした。雲というのは不思議なもので、元気で身体も気力も充実している時はほとんど気にかけることはないのですが、そうでない時にはその形であるとか、大きさ、流れの速さであるとかに見入ってしまいます。僕にとって雲は心のバロメーターみたいなものです。

シッポが死んで暫くしてから現像してみるとその雲はなんと、手塚治虫の「火の鳥」だったのです。シッポは火の鳥と話しをしていたのか・・・・・
シッポ「僕はもうすぐ死ぬんでしょ?」

火の鳥「そうよ。もうすぐ死ぬのよ」
シッポ「死んだらどうなるの?」
火の鳥「ほかの生き物になって生まれ変わるのよ」
シッポ「ほかの生き物って?」
火の鳥 「ミジンコ」
シッポ「ミジンコ!いやだ!いやだミジンコなんて。それはひどいよ。僕はどん    な罪でそうなるのですか」
火の鳥 「罪でも報いでもありません。はじめから決められていたことなのです。    お前が猫の時代をおえれば、別の生き物として生まれ変わるのです」
手塚治虫の「火の鳥」を読み返してみる。名作である。手塚の才能のすごさにあらためて驚かされる。
「火の鳥」の中から・・・・・


火の鳥「ここは、あなたの生きている世界から千年余りも後の世界です。この世界にも光族と影という二つの信仰の激しい戦争がありました。でも私は人間たちが自然に解決するのを、じっと見ていただけです。」

犬上 「こんなにひどいいくさなのに!?」
火の鳥「そう。むごたらしい戦いでした。宗教戦争はいつもむごいのです。人間    というのは何百年何千年たっても、どこかで、いつも宗教のむごい争い    を起こすのです。きりがないのです。とめようがありません」
犬上 「きりがないって?なぜなんですか?」
火の鳥「それはねえ、宗教とか人の信仰なんて、みんな人間がつくったもの。そ    してどれも正しいの。ですから正しいもの同士の争いは止めようがない    でしょ」
犬上 「あの侵略者の仏教を正しいっていうのか!俺はだんじて正しいとは思わ    ないぞ!絶対に!!」

火の鳥「悪いのは宗教が権力と結ばれたときだけです。権力に使われた宗教は残    忍なものなのですわ。人間の権力は、人間の手でなくすもの。だから私    は見ているだけ」
そしてもう一つ。
火の鳥は火山の火口壁に巣を作って、そこへうずくまって思いにふけっていた。それは、果てしなく長い年月だった。生物が滅びて、また現れて、進化して、栄えて滅びた。火の鳥の目の前で何度繰り返されたことだろう・・・・・・。そして何度目かの人間が、今また同じ道を歩もうとしている。火の鳥はいつも思うのだ。あのナメクジにしたって高等な生物だったこともあった。ここではどうして、どの生き物も間違った方向へ進化してしまうのだろう。人間だって同じだ。どんどん文明を進歩させて、結局は自分で自分の首を絞めてしまうのに。「でも、今度こそ」と火の鳥は思う「今度こそ信じたい」「今度の人類こそ、きっとどこかで間違いに気がついて・・・・・」「命を正しく使ってくれるようになるだろう」と・・・・・・・・・

まったくそのとうり。日本にはこんなにすばらし本があるじゃないか!手塚さん、いいもの残してくれました。感謝します。
(角川文庫 「火の鳥」2巻、
4巻、12巻より引用させていただきました)
修さん、津山の雲はどうですか?きっと白い白い、きれいな雲が見えてるでしょうね。


10/24

マリナーズが負けてイチロー、佐々木のシーズンが終わった。
よく頑張りました、たいしたもんです。しかしヤンキースの壁は厚かった。中でも投手陣はすごい。だてに高い年俸を貰ってないな〜と感心した。来年も手こずりそうです。
今週の写真は鶴橋の路地。大阪環状線のJR鶴橋駅は電車から降りたとたんに焼き肉のいい匂いが漂ってきて腹が空いているときなんかは、たまらなく焼き肉が食べたくなる。しかし昨今の狂牛病騒ぎ、新聞にも書いてあったが焼き肉屋の売り上げが激減しているそうである。役所の対応が悪かったのは当たり前だが、政治家のパフォーマンスにも恐れ入る。牛肉は食べても安全ですよとテレビカメラの前で大口を開けてのんきに肉をぱくついているのだ。残りの人生の方が少ない、あんたらはええやろ、あんたらは。しかし小さい子供らはどうするのか。のうてんきなパフォーマンスは危険すぎる。そんな事する暇があるんだったら、真剣に今後の対応を考えろ!

 

10/17

今月のポストカードは西淀川区のマリアだ。西淀川区の竹島のあたりをぶらぶらしていた時に、その清らしさにハッとなり足が止まった。模型会社の門柱に立っていたそれはマリア様ではないのかも知れないが僕にはマリア様に見えたので「西淀川区のマリア」とタイトルを付けた。
宗教とは何なのか?時々考えることがある。空爆が続き緊迫するアフガン、炭疸菌に脅かされるアメリカ。アッラーの大義でテロを仕掛けるビン・ラディン。アメリカに神のご加護がありますようにと空爆を続けるブッシュ。どちらも神に頼ろうとしている、いや神を利用しているのだ。神とは利用するものなのか。
人は心の中に何か頼るものを持っていなければ生きにくい。人間の力ではどうしようもない事が世の中には多いからであるが、そんな人の心を巧みに利用するのが昔からの権力者のやりかただ。言っていることは立派なのだが神や仏は所詮人間が創作したもので、死んだ人の言ったことを信じて生きている人間を殺すなんてもってのほかだ。テロで死んだ人や、空爆で死んだ人が神になっていたかも知れないのに。
神や仏を信じ過ぎたり、その為に死を恐れない人は無責任になってしまうからいけない。もっと生きたいと思っている人にはとても迷惑な話なのだ。
困ったときに、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうちゃん、おかあちゃん、と先祖の名前を唱えるぐらいの信仰がちょうどいい。
町工場の中のすすけたマリア。しかし想い方一つで世界一のマリアにもなる。結局のところ大切なのは人の心のありかたと言うことか。


10/9

うちの近くの公園に住んでいた野良猫の「しじみ」である。とても小さく普通の猫の三分の二ぐらいしかなく、エストモが命名したのだが、この猫にはぴったりの名前だった。

しかし猫の寿命というものは、身体の大きさに比例するようで夏の初めに風邪をひき、鼻水をたらし元気がなかったが夏の終わりには姿が見えなくなった。しじみのお兄ちゃんであるカンは何日も何日もしじみを探していたが結局見つからずしばらくはがっかりして元気がなかった。どこかわからないところで、しじみは死んだのだろう。たった一年半の一生だった。夏の暑さ、冬の寒さ、雨の日、風の日、野良猫たちが生きていくのは本当に大変で寿命も二年か三年ぐらいではないだろうか。庭や公園に糞をしたり生ごみを荒らしたりすることもたまにはあるだろう。しかしどうか許してやって欲しい、そして救いを求めてきた時にはそれは野良猫にとっては一生で一度のお願いなのであるから、どうか救いの手を差し伸べてやってください。ほんとに短い、短い一生なのだから。


10/2
とても過ごしやすい季節になってきた。ぶらぶら撮影のほうは、けっこう行っているんだがプリント作業をあまりやってないのでまた今回もカードを出すのが遅れている。もうしばらくお待ち下さい。
プロ野球は長嶋さんが引退し、阪神の最下位がほぼ決まって今年も後日本シリーズを残すだけとなったのだが、どーしても気になるのが近鉄ローズのホームランである。先日のダイエー戦の敬遠は後味が悪いというか、なんというか、こんなことでは日本のプロ野球もファンを減らすだろうと心配してしまう。王さん反省してください。がんばれローズ!
大リーグではイチローも佐々木も新庄も野茂も良くがんばりました。また来年もがんばって欲しいもんです。
最近はぶらぶら日記も書くことがワンパターンになってるみたいで、おもしろくない。面白い事をしてないのか、感じることが少ないのか、この先どうなることやら・・・・・・・

open ページ