〇〇 9月のカメラマン平のぶらぶら日記

9/25

テレビ、新聞では連日ニューヨークで起きたテロの話で持ちきりで、アメリカはアフガニスタンの包囲網をほぼ完成させた。いつ戦争が始まってもおかしくはない状況だ。こんな風に戦争は始まっていく。「もうどんなことがあっても戦争は絶対に起こしてはならない」いつも聞いていたような気がしたが人間というものは弱いもので、今の世の中の空気は「テロリストを撲滅させるためには戦争もしかたない」と変わってしまうのである。戦争以外でテロを撲滅する方法は無いものなのだろうか?頭に血がのぼったアメリカについて行くしか無いのだろうか。


9/17

世間ではアメリカで起きたテロの話で持ちきりである。日本にいる我々が耳にするニュースを聞いていたらアメリカの報復やもなしと言う感じになるが、アラブ側の人々の話を聞いていたら、う〜んどっちが正しいのか?と分からなくなってしまう。
こうゆう時は幼児の頭になって考えればいいのだ。まず悪いのは何か?それは生きている人間を殺すことである。大切なのは人の命であることを忘れてはいけない。
航空機を乗っ取り、何千人もの命を奪った今回のテロが悪なの当然のことである。しかしその報復として戦争を仕掛け何千、何万もの人の命を奪おうとしているアメリカが悪でないのかと言うと絶対にNOなのである。
今アメリカの人々は報復、報復、戦争、戦争とほとんどの人がそう叫んでいる。やられたらやり返す。そうしないと気が済まない。報復のために相手を殺せば手柄なのである。人を殺してもそれは正義なのである。この考え方というか感情が、戦争の一番恐ろしい所で、普段は優しい普通の人が戦争になると平気で人を殺しだす。人を狂わせるのだ。そして戦争が終わると何故あんなひどいことをしてしまったのかと罪の意識に呵まれるのである。テロリスト達も同じだろう。「もう二度と戦争は起こしたくない」事あるたびに耳にする話である。なぜ人間はそれが出来ないのか。なぜ戦争を起こすのか。
これに近い出来事が日本でもこの夏に起こっている。そう、小泉首相の靖国参拝である。
なぜ首相は靖国神社へ参拝したのか。いや、国民がなぜ猛烈に反対しなかったのか?
前の大戦で被害を与えた近隣の国々があれだけ参拝するなと言っているのに首相は日を変えただけで平気な顔で参拝した。なぜ国民はそれを止められなかったか。近隣の国々が嫌がっている行為を勝手にやり、それを大半の国民が何も言わず認める。これこそが先の大戦の始まる前の雰囲気ではないだろうか。僕はあの参拝のニュースには背筋がぞくっとするぐらいのショックを感じた。
靖国に祀られている英霊達はどう思っただろうか。僕には「もう戦争はいややで。お前が来ることによって、また近隣の国々と仲悪うなったらあかんから来んでもええで」そう聞こえてならない。
キリスト教もイスラム教も靖国も宗教なんてものは所詮権力者が世を治めるためにつかった一つの政策に過ぎない。大切なのは人の命。生き物の命。
殺すな!殺すな!殺すな!


9/11
アメリカで大規模なテロが発生している。ニューヨークの巨大なビルが2棟崩れ落ちた。
他にも多くの箇所でテロが行われた模様であるとテレビが伝えている。航空機がビルに激突した瞬間のショッキングな映像は世界の人々をテロの恐怖で打ちのめした。被害に遭われた人々に冥福を祈りたい。
しかし、めちゃくちゃである。ぶらぶら日記なんてのんきなことを言ってられない。
今週はこれで止めて状況をみまもりたい。

9/2
お久しぶりです。皆さんお元気ですか?
ここのところ少し涼しくなったみたいで一昨日と昨日、やっと暗室作業ができました。そう言う訳でポストカードはしばらくお待ち下さい。
この8月も色々とありましたけど、ぶらぶら日記を1ヶ月も休んでしまった理由の一つにコンピューターの設定という僕にとってはとても、とても難儀な作業をやった為、コンピューターをさわるのも嫌になったというか、結局最後まで設定しきれず、嫌気がさしたというか、頭に来たというか・・・・こらっメルコ!なんであんたの会社はいつも電話つながらへんのんじゃ〜!みたいな感じでちょっとコンピューターコンプレックスになってたのも確かです。でも気を取り直してまた毎週書くように頑張ります。
先週、3ヶ月前に保護した野良猫のシッポが死んだ。保護したときは獣医さんに後何日しかもたないだろうと言われていたのだが3ヶ月も頑張ったのだ。彼の根性には頭が下がる思いがした。病名は猫エイズ、猫にしか感染しないエイズらしいのだが手足の裏に梅干しぐらいの腫瘍が出来て見るからに痛々しかった。うちにいた3ヶ月の間、一度クーラーの修理に来た電気屋さんに驚いて逃げ出したことがあった。一週間ほど帰ってこず、とても心配したのと同時にもう何処かで死んでしまってるんじゃないかと諦めていたが彼は骨と皮だけの身体になって帰ってきた。身体がしんどそうで食欲など湧いてきそうもないのにキャットフードや缶詰を黙々と食べている背骨の浮き出した後ろ姿を見ていると生きよう、生きたい。そんな彼の思いがひしひしと伝わってくるのだ。最後には腹水が溜まりさすがに食べる量が激減したが、もうろうとした意識の中で時々ハッと気づき食べなきゃいかんと言う感じで食べていたのである。あらためて命の尊さを思い知らされた。
シッポよ安らかに眠って下さい。そして今度生まれ帰ってくるときは元気な姿でまた逢おう。
open ページ