1/31 ラグビーシーズンが終盤を迎えて、サントリーと神鋼の決勝を残すのみとなった。 最近は学生がさっぱり社会人に勝てないが、学生が勝てていたちょっと前がおかしかったのだろう。見ていても迫力が違う。ラグビーを見る楽しみと言うのは、やはりタックルに尽きるのではないだろうか。いい試合はやっぱりタックルがいい。 ルールが分からない人でもタックルだけで楽しめると思う。タックルにも色々種類があり横から、前から、後ろからなどなど。中でも一番勇気がいるのは真正面から向かってくる相手の下半身に頭から行くタックルで、こういうタックルをバシバシ決めているチームは強いのです。今度の決勝戦が楽しみだ。 今週の写真は万博公園の中にある国立民族博物館のトーテムポール。 去年の年末、撮影の帰りに寄ったのだが、僕は国立近代美術館のアートを見たいと思い、エストモは美術館はつまらないから民族博物館の「ラッコとガラス玉」展の方をを見ようと言う。この人はこういうのがとても好きなのである。 最初に行った美術館は確かにつまらなかった。企画の悪さとマンネリ化のせいだ。 入場料が400円ではしょうがないか。次に行った「ラッコとガラス玉」はけっこう面白く、入館時間ぎりぎりに入った博物館の常設展示場はすごく良かった。 時間がなかったので駆け足で見て回ったが、ここには岡本太郎やピカソなど、芸術家の作品の基になった資料がごろごろある。 また時間に余裕をもって行ってみたい。それとここは写真OKなので、とてもうれしいのである。 |
1/25 昨日、茨木市の万博公園近くの家に竣工写真を撮りに行った。もう家の人は引越しを終えて暮らし始めていた。こういう時は家族写真を撮るようにしている。実際、建物の写真だけで制作する竣工アルバムはどこか味気なく、設計事務所や工務店の人はまだ良いだろうが、普通の施主がそのアルバムを貰ったとしても一度開いたら後はどこか本棚の隅で長い眠りにつくのだろうが、竣工当時の家族の写真が入っていれば何年かに一度は日の目を見ることができる。昨日も今年になって生まれたばかりの赤ちゃんとそのお母さん、そしてそのお母さんのお母さんの3人の記念写真だったが、この写真は5年、10年、20年と時間がたてばたつほど価値が出てくるものだと僕は思っている。写真とはそういうものなのではないだろうか。 僕なんかは、その時をいつも確認したくて写真に日付が入るカメラを使っている。 今週の写真は野良猫「ダスキン」今週の月曜日早朝に死んだ。 この写真は一生、僕の心の中で「ダスキン」を忘れずにいさせてくれる事だろうし、今の状況をこれからも先、思い起こさせてくれる。写真とはそういうものだ。 |
1/18 今日、竣工写真の下見に神戸の北のほうに行ってきた。 監督さん「カット数これくらい、アルバムこれだけ、あとバラ焼きとパネル。予算 ないんや〜」 僕「いくらぐらいでしょう?」 監督さん「これだけしかあらへん」 僕「・・・・・・」 小泉さんの言う痛みは確実にやって来てます。 今週の写真は、阿倍野の壁画。しっかりとサインまで入っている。この通りを少し行くと長さ50メーター、高さ3メーターぐらいの壁画があるのだが、こちらはどちらかと言えば落書きで、数人の落書き作家が協力して描いたものだ。 街をぶらぶらしていると、あちこちで落書きを目にする。文字だけのもの、稚拙な絵、カラフルで上手な絵と色々ある。しかし、どれもどこかで一度は見たことのある落書きばかりで、実物は見たことはないが、雑誌などで目にするアメリカのニューヨークあたりの落書きと同じなのである。何事においてもオリジナルを創り出すのは、なかなか難しいようである。 |
1/11 先週、前の会社に居た時の友人から来た年賀状の電話番号に目が留まり電話を掛けてみた。「元気か?」「あー、誰かと思った。久しぶり」 何年かぶりの会話は、とてもはずんだ。会社のこと、後輩のこと、上司のこと。 リストラもけっこう厳しくやってるみたいで、知っている上司も後輩も何人か辞めていた。 「ところで、Mさんは元気か?」もう電話を切ろうとした時の質問に彼の声のトーンが急に落ちた。 「えっ、知らんかったん。Mさん亡くなられたんで」 えっ!僕は言葉を失った。会社を辞めて何が辛いと言ったら、会社に居たとき大変お世話になった人が、病気や怪我、ましてや亡くなられた事などがわからず、何も出来ないことである。これは本当に辛いものだ。 「3年ぐらい前かなー、ほらMさん持病があったろう」 持病と言うのは酒による病気だった。 「おい、ぺーちゃん、片付け済んだら飲みに行こうか」「おい、ぺーちゃん、今日は、よう頑張ったから飲みに行くぞ」「ペーちゃん、行こう、行こう」などと言ってよく飲みに連れて行ってもらった。いつも豪快に飲んで、はしゃいで、楽しい酒だった。その頃はMさんの身体のことなんか気にもしてなかったけど、あの飲み方では身体を壊して当然だったろうと、今になって思う。 「わしの親父は、早く死んだからなあ。だからわしは親父より一才でも長生きしたらそれでええんじゃ」ある時、Mさんが僕にこう呟いた事を思い出す。もう20年近く前のことだが、その一言は今でも耳に残っている。Mさんは45歳で人生に線を引いていたのだろう。そして、医者からこれ以上飲むと死ぬぞと言われても飲み続けた。そして死んだ。それにしても早すぎますよMさん。 「フン、何ゆうちょんじゃ。人生なんてこんなもんよ、ぺーちゃん。さよならだけが人生よ」 あの世では、少しお酒を控えてくださいよ。また死にますよ。 「アホッ!一回死んだらもう死ぬか。お前も早くこちに来て一緒に飲もうや」 いやいや、僕はもう少しこっちに居りますよ。まだまだやらんといけん仕事もあるし、そのー、なんと言うか・・・・ 「相変わらず水臭いやっちゃな〜。まあええわ、その時にはまた一緒に飲みに行こうな」 はー。それでも寂しいっすよ。 「何ゆうとんじゃ。お前会社辞めてから音信不通だったくせしてからに」 すんません。 「まあええけど。お前も色々あったんじゃろうから」 はー。 「まあ、身体に気をつけてがんばりんさい。あんまり飲みすぎんように」 はい、ありがとうございます。Mさんもお元気で。 「アホ!元気もクソもあるか。わしは死んどるんちゃ」 ・・・・・・・・すんません。 今週の写真は羽雲。Mさんにも、こんなん付いてるんかなあー。 |
1/4 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 昔の知人から今年も何通か年賀状が届いた。印刷だけの年賀状の文面はいつもと変わらないが、近況を知らせる走り書きには、リストラとか厳しい年などといった世の中の景気の悪さを反映した単語が並んでいた。小泉さんの言う痛みを今年ぐらいから本格的に感じ出すのだろうか。 年末の番組で梅原猛氏が「これからは宮沢賢治のように・・・」といって、賢治の”雨ニモマケズ”を森繁久弥が朗読していた。ジンと心に響いた。ソウイフモノニボクモナリタイ。といつも思うのだが、なかなかである。 今週の写真は、石積みのおじさん。前にバイトで警備員の仕事をしていたときに撮った写真だ。 「にいちゃん日当なんぼや?わし9000円や」 おじさんは、歯の無い顔で笑って見せた。 「朝、5時起きや。伊丹のむこうから来とんのや。わしら朝が勝負やからな」 たばこを取り出したその爪先の黒さを見て僕は言葉がなかった。 「明日は雨が降るかもしれんてゆうとったわ。こまったもんや」 外で日当なんぼで働いている人は天気の良し悪しも死活問題になってくる。おじさんは、どうしようも無いやるせなさを鼻の穴からタバコの煙と一緒に噴き出した。 そして、また僕のほうを見て微笑んだ。切なく、優しく、黒い笑顔だった。 その笑顔の奥の、どうしようもなかった事の事を、僕は色々と想像した。が、それがたとえどんな事であろうとも、その時は許せる様な気がした。 人生には、どうしようもない時や、どうしようもなかった時が必ずある。賢治の詩は、そんなどうしようもない事を経験した人達への再出発に送るエールのように僕には聞こえる。 |
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