2024年 ぶらぶらフォト日記

 
 
 
11月15日(金)


人のものを盗らない

うそをつかない

弱い者いじめをしない

これだけでいんじゃないかな


甲山の空は青かったな












 
 

10月2日(水)


8月に伯耆大山に登ってきた

去年も登ったのだが

8合目手前で引き返した

今年はなんとか頂上まで登れた


僕は中学生の時に林間学校で登ったことがあり

あれからなんと50年ぶりの大山頂上という事になる


50年かあ~

しみじみなって景色を見渡したが

あの頃の記憶に引っかかるものはほぼ無かった

でもひとつ思い出したものがあった

それは石のゴロゴロした乾いた土ぼこり立つ

乾いた道の色だ

この色だけははっきりと思い出せた


あの日は飲み水の準備が悪くて

登りの中ぐらいから水が無くなり

喉カラカラでやっとたどり着いた頂上の山小屋で

缶ジュースの値段を見たら300円ぐらいしてて

あきらめたことを思い出す

ちなみに今年は500ミリのペットボトルが1本600円

カップヌードルはお湯を入れてくれて900円

髙いのか安いのか ようわからん


帰りには大きな夕日が沈んで

蒜山のサービスエリアで夕ご飯を食べた

高速道路は大山の麓から西宮まで繋がっている

50年は長いようで・・・












 
 

8月18日(日)


盆前に墓掃除に帰る

一昨年の墓掃除には母がいて

暑いからなあ

と言いながら草刈をする弟と僕を見ていた


時々死を想う年齢になってきて

時間のことを考えることがある

父が死んで母が亡くなるまでの時間

父にとって 母にとって

それぞれの時間とは何だったのだろうかと



綺麗になった墓に

姉が色とりどりの花を供えてくれて

とても清々しい気分になった


時間のことはこれからも想い続けよう












 
 

7月4日(木)


何年か前に

熊谷守一の展覧会に行ったとき

ヤキバノカエリ という絵を見て

エッ? となったことがあった


画集で見て

すごい絵だなと感動したことがあったから

その絵が一番見たかった

でも絵の前に立った瞬間

色が思っていたのと違い

少しショックさえ憶えた記憶がある


絵と写真とは違うだろうが

写真も色はほんとに難しい

その時のまんまの色になるよう

いつもやっているのだが

なかなか思うようにいかない


色とか明るさ暗さで

何か時代みたいなものを

表現しているという写真家もいるが

そういう感じはちょっと違うんじゃないかなと思う


荒木さんが何かのインタビューで

「ラボが出した色が一番いんだよ」と言っていたが

なるほどな

人に任せるというのも一つの選択肢なんだろう


僕の場合はフイルムで撮影をしているので

極力フイルムの味を残しながら

現物の色に少しでも近づくよう

一生懸命色だしをやる


それでも色は感情に流されやすく

青くなったり赤くなったり緑になったり

あーでもないこーでもないと悩みながら

仕上げていく


結局僕の写真の色は僕の創作だ

その時一番いいと思った色

そういう事なんだ

うん



今日

色について思っていた












 
 

6月13日(木)


先日甥の結婚式に行った

あの子がもうこんなになったんかと

時間の過ぎる速さと

20数年前のことを思った


僕がこちらに来て

初めてやらせてもらった個展に

みんなで来てくれて

みんなで撮った写真には

弟に抱っこされた

赤ちゃんだった彼が写っている

もう27年前か ハヤ


弟夫婦が母の写真を持ってきて

披露宴のテーブルに置いていた

孫の世話をしていた

母の姿を思い出した



写真の力とは

どれだけ記録できるかじゃなくて

どれだけ忘却をつつめるか


なんだろう











 
 

5月19日(日)


きらきら光る瀬戸の海が美しかった


瀬戸内の小さな島で仕事をしたことがある

その日は最上階のコンクリート打ちの日で

朝からみんなピリピリしていて

些細なことで口喧嘩が始まり嫌な空気になった

その時ホースの筒先を持って

コンクリートを流し込んでいた若者が

「あの海を見てみいや」 と大きな声で叫んだ

その瞬間みんなハッとなって海の方に目をやった

空は青く遠くの方は少し朝靄が残り

近くの海は冬の澄んだ空気と光で

水面がきらきら光りながら穏やかに波打っていた

一瞬みんな黙った

ホースから出てくるコンクリ―トの

シューッ シューッという音だけが響いていた

またすぐにみんなは我に返り

ごそごそ動いたりがやがやしゃべったりして

いつもの作業に戻って行った


今からもう40年近く前のことだが

何故かあの日の朝の光る海と

若者の叫び声は鮮明に覚えている


美しいと思うから美しいとかじゃなく

ただただ美しいものがあり

あの瀬戸の景色はそんなものだったんだろう


美しさについて思っていた時にふと思い出した


美は人を沈黙させる












 
 

4月21日(日)


強い風が1日吹いて

今年の桜は散ってしまった


最近家で仕事をしていると

なんかの気配を時々感じる


ペケだろうな












 
 

3月28日(木)


むかしペケが駆け上がった桜の木もだいぶ年をとった

若々しかった幹も今はもう黒く沈んでいる


ペケは桜が咲くのを待たずにどこかに行ってしまった


みんないた

春の光に輝いた公園の

あの桜の風景はもう見えないが

桜は今年も咲くのだろう












 
 

2月25日(日)


ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」を観た

僕の場合は一人じゃないけど

これに近い生活を

何年もしていたような感じがした


映画では平山が時々ポケットから

オリンパスミューを取り出して

木漏れ日を撮っていたけど

僕はスリムTをいつもポケットに入れていて

そこら辺の風景を撮っていた


仕事は少し変わるけど

あの頃と同じように

たんたと仕事して写真を撮って


役所広司演じる平山を見ていると

僕も もう10年

頑張れるかなという気持ちになった


いい映画だった












 
 

2月14日(水)


安井仲治展をみてきた

いろいろな写真を見て

しんどい思いがあったんかなと思う


晩年の連作 上賀茂にて

林の道の写真に見入る

前にも書いたが

末期の眼で見た安井さんの作品がすごいのか

末期の眼で見た作品だと僕が知っているからすごいのか


いや

そうじゃないな

安井さんが苦労の果てにたどり着いた

作品だからなんだろう


やはり

写真は精神だと思った












 
 

1月23日(火)


先日母の1周忌で黒坂に帰る

少し雨模様の日だったが皆さん来てくれて

落ち着いたいい法要だと思った

母も満足してるんじゃないかな


実家で色々としてくれる弟夫婦や

何かと心配してくれる姉夫婦には

感謝しかないなあ



先日から少し風邪気味で

横になりながら

これからの写真のことについて思っていた


とりあえず12年前で止まっている

BURABURA写真をなんとかしたい

次からはカラーになると思うが

・・・・・・

と思っていたらタイトルが閃いて

なんか形になりそうな気がしてきた

年代の古い方から先に

いや新しい方から先に

まあそういうのはどうでもいいか

なんとか形にしたい


私写真で私家本

これがいいと思う












 


1月11日(木)


今年もよろしくお願いします


昨年の1月に母が亡くなって

もう1年がたとうとしている

田舎に帰ればまだ母はいるようで

「久しぶりじゃなあ あんたあ」 

なんて言ってくれそうな気がする


年明けから北陸で大きな地震や飛行機事故

亡くなられた方々にご冥福を

行方不明の方々

避難されている方々が

1日でも早く家に帰れますようお祈りいたします


何もない普通の日々のありがたさ

いつも通りに写真が撮れることを

感謝しながら

今年もやって行きたい