写真小説
rirax@
 文 エス・トモ 写真 平 桂弥



偶然、画材屋で原田さんに会った。一年以上会っていなかった。

どうして会う機会がないのだろうと、実は思っていた。

振り向いた笑顔は確かに原田さんだけど、まるで違って見えた。
胸がすっかり薄くなっていて、カッターの襟にこぶしが一つ入るほど首も肩も肉が落ちていた。

「どうかなさったのですか。」
うっかり、言ってしまった。

その頃は、健康を安く見積もっていた。どうすれば痩せられるか、などという会話は私の周辺では挨拶みたいなものだった。

原田さんは以前と変わらない穏やかな口調で、
「僕ね、癌なの。胃を全部取っちゃってね。」
へこんだお腹辺りをなでながら。

不意打ちだった。

医者は癌の告知には慎重だと聞いていた。その頃はまだ、本人が強く望む場合でなければ、告知はされないものだと思っていた。

「でも、手術で良くなったんでしょ。」
馬鹿なことを、つまらないことを、私は言った。

「後、半年だって医者に言われてるけど。どうなんだろうね。実のところ。」

作業台を隔てて、店の女性が絵の具を箱に詰めながら、私の顔をチラリと見た。
口の端だけ上げて笑顔を繕いうつむいて、この成り行きを私に押しつけるつもりだ。
いつもなら、嘴を挟むタイミングだった。

私は、棚の筆をうろうろ触りながら慌てていた。
直前まで、来年の計画のことで頭が一杯だった。私の関心ごとは全部未来にあったと気がついた。自分の未来のことだ。

もう半年だと宣告された人と何を話せばいいのか。私は若くて健康で、希望はいつも未来にあると思い込んでいた。

遂に、言葉が見つからなかった。
お大事になんて、とても・・
じゃあ、お先に、と言って店を飛び出した。いえ、逃げ出した。

原田さんとは、それきりだった。

原田さんに、もう半年なんだよ、と言われて私がどんな顔をしていたか、今は良く分かる。
人は死ぬから哀しい。何もかも残して、自分だけ一人逝くのが寂しい。

出来ることなら、そんな日が来ることをすっかり忘れて、最期まで先のことだけ考えて暮らしていけたらとも思うけれど、原田さんみたいにあっさりと、私はもうすぐお終いだから、それではさようならと言って回るのもいい、とも思う。

その時には、神様なんていないんだよ、と言いたいと思う。
死ぬ間際になって、神や仏にすがるのは、私の場合みっともない。
自分を騙して、不安から逃れられるとは思わない。
そこまでは考えついている。だけど、その先どうにかなると解っている訳じゃない。

中年の女性で、顔を歪めるように嫌な表情をする人がよくいるけど、あなたはそんな顔しないからいいね。
って、ぺいちゃんに言われた。中年になってからの私の美点だと、誉められたらしい。

だけど、もう駄目だ。

私はもう、軽やかには笑えない。

 

 




2003.02.15 11:00

実は、去年の12月初めから検査をしていて、腫瘍が何かはっきりしないまま、2月初め入院手術で甲状腺を4分の3摘出しました。甲状腺って喉にあること知ってた?

それほど深刻に取らないで、命がけの手術と言うわけでもなかったから。

大丈夫、無事に終わって、退院出来ました。

コーヒーの飲み過ぎで、気持ち悪い。
気持ち悪すぎるので、又…

 

 





2003.02.16 12:12  

喉に横10センチの傷跡を、分厚い絆創膏様の物で貼って押さえています。
少しでも、手術跡が綺麗になるようにこうしておくのです。

手術して一週間で退院して、今日で4日目です。手術跡の周辺が堅くなって、首が絞められたように苦しい。
堅くなるとは聞いていたけど、こんなに苦しいとは。

病院に電話掛けて聞いてみたら、とペイちゃんが勧めるけど、うん、そうすると返事しながらそうしません。どうせ、どうにもならないと思うから。

今も、パソコンに向かっていると、息をするのも苦しくなって、帰って来たペイちゃんに、舌をベーッと出して見せて、絞殺死体はこんな風に舌出してると思う。
と言ったら、そうかもしれん。と真面目な顔で答えてました。

でも、首周辺以外は割合元気で、お腹も空くし、減らず口も叩いてます。

 



 


2003.02.16 14:30

鏡で見ると、舌が黄色いことに気がついて、ペイちゃんにほら黄色いと言って見せても、のど飴のなめすぎやろ。と言われて、この飴は無着色だといくら言っても信じてくれません。

今朝起きてすぐ、ほら黄色いと言って見せたら、本当やな。と認めましたが、何の解決にもなりません。

退院してから、パソコンに向かうだけです。それもやっとのことで・・

  

 



2003.02.16 19:26

ところが、手術して取った物が、癌だったのかそうでないのか、未だに教えてもらってないのです。
退院して一ヶ月後の診察の時、検査の結果を教えてもらえるそうですが、でも、もうどっちでもいいかなって、気分になってます。

神戸の専門病院に紹介されるまで、一ヶ月も検査の結果を待つことになって、インターネットで検索する時間があったから、もしかしたら、未分化癌という超悪性の可能性もあるわけだと、思い詰めた時期もありました。
それなら余命数ヶ月という、深刻な事態です。

そのときの心境を言えば、悩むとか苦しむというより、困った、とても困った、と言うのが適当です。周りの人たち一人一人のことを思い浮かべて、私がいなくても何とかなることにすぐ気がついて、それから自分のことを考えようとしました。

いつもそうしてきたように、問題があったら何らかの対策を練らなければいけないのです。

そして見ると、私の前にあったのは、真っ暗な闇でした。
の先に何があるのか、何も無いのかそれも解らない、胸の詰まるような黒い闇が私の鼻先に、壁のようにただあるだけでした。

私は途方に暮れました。
私の持っている知識も経験もどんな努力も役にたたない事態なのだと、
始めて途方に暮れました。

そんな時、
「いつか来る、今来なくても、必ずいつかやって来る。」
という、ハムレットのセリフを思いだしました。
ああ、文学だ。って思ったのです。
生も死も、私だけに与えられた特典ではなかった。

いきなりシェークスピアなんて出来過ぎなのは、夜中のテレビで現代版ハムレットの舞台中継を見たばかりで、記憶が新しかったので、
その時酒飲んで、机の下で犬と抱き合って寝ていたペイちゃんは見ていなかったのです。

それを思い出したのは車の中で、
運転中だったペイちゃんにそれを話したら、突然、ペイちゃんから溢れ出した悲しみが、シフトレバーの上で重ねていた手を伝って流れ込んできました。

それは暗い灰色の渦を巻く激流のようで、私を突き抜けて車の後部座席へ流れていって、
その行方を振り向いて見ようとしても、私は身体を動かすことが出来ませんでした。

二人、マネキン人形のように固まって、並んで座って、フロントガラス越しに信号を見ていました。

悲しみは、液体だと気がつきました。

 

 

 


2003.02.17 15:20

振幅の大きい方が、それは立体的で良い物なのです。

それは、何のことでしたっけ。

 

 



2003.02.17 16:20

ええ、そう、甲状腺を殆ど取ってしまったから、私は一生、甲状腺機能低下症というわけです。

インターネットで調べてみると、物忘れをしたり、惚けが早まったり、鬱になったりするらしいのです。甲状腺ホルモンの薬を、毎日飲んでます。

インターネットで調べると、この薬、生き物の甲状腺からつくるとありました。

生き物って何なんだろう。

頭の中で、ブタを殺して喉を切る様子を想像していました。タンパク質もカルシウムも、他の生き物から略奪して私は生きてきました。
今また、甲状腺ホルモンも奪って生きようとしている。と思ったのです。

そうして、生きていく意味が解らない。

 

 

 

 



2003.02.19 20:59

手術前と後では何が変化したのか。

生きるか死ぬかの問題が先送りになって周りを見渡すと、悩みの種は同じようにそこにありました。
私の甲状腺騒ぎは、現実からの一時の逃避でした。

死んではいけないと誰が言ったのでしたっけ。
この寒空に、失踪する元気もなくて、
私は今から餅を焼いて食べようと思います。

娘が今
「私がウンコ拾っているとき、後ろに回って私のお尻の匂い嗅ぐの止めさせたいわ。誰がウンコしたか、疑われるやろ」
と私に言って、犬の散歩に出掛けました。

笑ってあげる気になれない。

昨日から、寝返りが打てないほど首の筋が痛くて、湿布薬を貼ってます。

 

 





2003.02.20 15:25

去年から、今年になっても、ペイちゃんは警備員のバイトに行く日の方が多くなっています。

仕事がないから時間があるというとき、誰も考えることは同じらしくて、去年の秋、ハローワークに行ってみたら、人が多くて驚きました。仕事のない人が大勢います。

これなら何とか私にもできるかと思って、行ってみたバイトの話です。

「母親が、財産と一緒に遺した13匹の猫の世話係一人募集」

うちには猫も犬もいるから、これならまあ何とかなりそうだと思ったわけです。

動物園の狸の獣舎くらいのコンクリートの部屋が三つ、中庭を囲んで立てられていました。新しく造成した一角の、一戸分の敷地に、猫獣舎とそれを世話するための部屋だけが建てられているのです。

獣舎に、半病気の猫が病気の度合いに応じて、分けて入れられていました。グレーと黒の縞柄がほとんどで、近親相姦で生まれたものだとすぐに気がつきました。

「亡くなった母が、野良猫を保護し始めて、手術をしないので増えてしまったのです。一時はこの倍ぐらいいたけど、今は13匹に減りました。」

遺産相続人の30代後半の姉妹は、二人とも質量的に私の二倍あって、つまり凄く太っていて、二人が並んで私の前に立つスペースはこの敷地にはないので、いつも姉の後ろから妹が重なるようにのぞいている、という風でした。

「私達は、母の遺した病院と遺産相続のことで・・母は医者だったんです。それで、弁護士さんにあわなくてはいけないから、とにかく忙しくて、忙しくて。猫の面倒が見れません。」
主に姉が話して、少しぼんやりとした妹が、姉の肩越しに相づちを打つのです。巨大な姉妹が私の雇い主でした。

姉妹の住宅は1、5メートルほど段差のある隣りの敷地に建っている新築の家で、姉妹は、猫舎のある方の敷地へ渡してある木の橋を、折れそうに軋まして下てくるのです。
13匹の猫の片がついたら、この木の渡し橋は取り払われて、こちらの地所はすぐに売り払うのだろうということが解りました。

猫小屋を掃除する間、囚人のように猫を中庭に日光浴に出します。
私は小屋の掃除の他に、トイレの砂のウンコをとったり、健康食品に清浄水を振りかけて猫にやります。

「これは初めにお願いしておきますが、けっして猫は増やさないでいただきたいの。よく家の前に猫を捨てていく人がいるんです。こんなにいるから、猫好きだと勘違いされるんです。拾った猫は、お宅に連れて帰って下さい。私達は、母の遺したこの猫達だけに責任があるんです。」
姉と妹はうなずきあいました。

中庭に面した一方に六畳の和室があって、大きな膝を折って正座した姉妹が前後に並んでガラス越しに、私の仕事ぶりを検分していました。

そのバイトは、一日で終わりました。

どれくらい追いつめられたら、私は選り好みせず稼ぎに出るのか。
飢え死にした方がまだましだ。と言うのを実践するには、どんな根性がいるのか。

そんなことを、たまに考えます。

私のベッドの横に、畳にふとんを敷いて寝ているペイちゃんが、目覚めと同時に大きなため息をついているのに気がつきました。足元に犬が寝ています。

この前まで、私がそんなため息をついていました。自分のため息で目が覚めて、重い気持ちになりました。
寝ている間も忘れられないほど、私は思い詰めているのかと思って情けなくなりました。

その事を教えたら、翌朝、ペイちゃんのため息が、途中で変な尻上がりの声に変わりました。自分のため息に気がついて、ごまかそうとして失敗です。
ハハハと、目を瞑ったままわらってしまいました。

どうして私のため息がペイちゃんにうつってしまったか、分かっています。
私はもうあてに出来ない。
これまで私が分担していたことも、ペイちゃんはこの先一人で背負っていかなくてはいけない。

 

 

 


2003.02.21 12:30

退院して、10日たちました。

目が覚めると、今寝ている場所が分かりません。
同じ部屋に寝ているのは誰だろうと考えます。天井も壁も見覚えがありません。まだ病院にいるのかとも思います。

「ねえ、肩が痛くて、眠れないんだけど。」
と声を掛けてみて、返事を聞いて、ここは家だと分かるのです。
全身麻酔の後遺症か、甲状腺機能低下のせいなのかと思います。

相手を見ていて、実は自分を見ているのだと気がつくことがあります。

口を開けば身体の何処かが痛い話で、いい加減うんざりさせているのではないかと思ったとき、
「早く良くなるといいね。」
と言われて、

「うん、早く良くなるといい。」
と、言い訳めいて、相づちを打ちました。

良くなると言う言葉に、少し心が揺れました。
喉の手術の傷跡や、この先ずっと飲み続ける薬の副作用や、手術で取った腫瘍が何だったのかもまだ分かっていません。

尋常でないことが身体を通過していくのを、抵抗もせず受け入れている状態です。

あるプロセスを経なければ、次に進むことが出来ない気がします。
そのプロセスのどこかに、自分の未来をどう考えるか、これからの人生をどう生きるかを考える地点があるだろうと思うのです。

肉体的にも精神的にも、良くなると言うのは元通りになることではないと、その時気がついたのです。

 

 




2003.02.21 19:20

紹介されて行った甲状腺の専門病院の待合室は、込み合っていて、そのほとんどが女性でした。甲状腺の病気は女性特有病に入るらしいのです。

初めに私を診察したのは若い男性の医者で、私が持ってきた検査の資料とレントゲン写真を見ながら、私の方を見ずに言いました。

「形状的には、悪性の可能性がありますね。」

ふーん、こんな風に切り出すのだ、と思いながら、私も写真をのぞき込んで、

「それで、悪性だった場合ですが、」

と言ったら、医者はその先も聞かず、少しきっとなって、

「甲状腺癌は、手術しか方法はありませんよ。どうしても手術を拒否されるのなら、それは、」
あれっ。どうしたのですか。私の前の人は手術を拒否したのですか。と、心で思って

「いいえ、別に拒否はしませんけど。私の心配してるのは、ホームページに載っていた、未分化癌じゃないかと思って、」

「それは無いでしょう。最初の病院で診察されてもう一ヶ月はたってるでしょう。未分化だったらそんなものじゃないですよ。それに…そうだとすれば、もうどうしようもなくて、何も出来ないと言うことだから…」

「ああ、そういうことですか…」

二人で又写真をのぞき込んで、

「今の段階で、何だと思われますか。」

「確率的には、圧倒的に乳頭癌が多いですから、それを狙っていくのが順当でしょう。」

甲状腺癌の中で、乳頭癌は転移も再発も少ないとインターネットで調べていました。
でも、確率で安心できるのなら、癌保険にも入らない訳だし、誰も宝くじは買わない。
第一、数ある癌の中で甲状腺癌になる確率というのを考えたら、どうして私が乳頭癌になるわけなの。ってことになる。
だからこの場合、確率は私の安心材料にはなりません。

「そうですか、とにかく検査してからと言うことですね。」


と言うわけで、大抵のことには、あまり従順ではない私が、素直に指示された部屋の前に腰掛けていると、

「急に声が出んようになったんです。」

隣りにすわっていた二人連れの一方の女性が、自分の喉を指さしながら、かすれた声で、話しかけてきました。

「その方が、静かでいいって、主人が言うんですけどね。」

私より、5つ、6つ年上の朗らかそうな女性で、話したくて仕方が無いようでした。

「原因がわからんのですよ。」

「どうしたんでしょうねぇ。」

「明日、主人が医大で喉頭癌の手術なんです。」

「そりゃ、やっぱり、ストレスでしょう。」

「そうですかねぇ。そう言えば、震災の時も声が出んようになって、ここに来たんやけど。」

「じゃあ、やっぱり、ストレスかもしれない。ストレスが喉に出る質かも知れませんよ。」

女性はハハハと笑って、

「そうやろか。おたくは、どこかお悪いんですか。」

私も喉を指さして、

「甲状腺に腫瘍です。3センチか4センチくらいのと、他にも幾つかあって、癌かどうか調べるんです。」

「あらまあ。手術ってこともあるんですか。」

「手術を拒否するって、勇気いりますよね。」

さっきの話を、思い出していました。女性が次の言葉を選んでいるとき、私の名前が呼ばれて血液検査室に入りました。

エコー室の前で、さっきの女性が私に手をふりました。連れの人は、弟の嫁さんだそうで。話の続きです。

「明日、大変ですねえ。」

「周りのもんが心配しとるのに、本人さんは平気でよう食べるし、呑気なんですわ。」

「ああ、うちもそうです。家族が食欲無くなったって言うから、心配かけて悪い事したなあって、思うんですけど。」

二人の女性が笑って聞いているので、私は続けて、

「思うに、未来への不安が一番ストレスになるみたいですね。癌になった本人は最悪、未来が無いということですから、頑張ったってしょうがない。周りの人はこれから先があるわけで、頑張らんといかんと思うから、ストレスが溜まるんだと思います。」

声の出にくい女性は暫く黙って私の顔を見てから、連れの女性と私の顔を交互に見て、

「昨日な、これ、しまっといてくれゆうて、通帳出すねん。見たらな、三百万もへそくりやで。びっくりしたわ。なあ。いつの間にためこんだんや。こりゃ、名義かえとかな使われへんわ、ってゆうたらな、お前わしに死なんとっていうたくせ、何やそれ、って主人言いますねん。」

三人で笑いました。

エコーの検査は声の出にくい女性が先でした。終わって、出てきて

「何やしらんけど、声が出るようになってきたわ。お宅まだ検査あるんですか。」

と聞くので、

「細胞診です。腫瘍に突き刺して、そこの細胞とって検査するんです。」

と言うと、声の出にくい女性は、椅子に座っていた私の手を取って、

「お医者さんに、手術したほうがええ言われたら、手術した方がいいですよ。」

と真剣な眼差しで、忠告と言うか、励ましというか、それからわりに元気に廊下を歩いて行きました。

その日がクリスマスイブだと気がついたのは、夜になってテレビをつけたときでした。
これほどすっかりクリスマスを忘れていたのは、子供の頃から覚えている限り、初めてのことでした。

 

 



2003.02.27 19:12

ようやく、一年分の領収書やら支払いやらを整理して確定申告に書き込んだら、右の肩に針を刺すような痛みです。

何とか今日、税務署で申告書を出しました。それから納付相談窓口に行ったら、受け付けたのは紺色のスーツを来た若い綺麗な女性でした。

去年秋に対応したのは若い男性で、こちらの事情に同情的だったのに、彼女はそうではありませんでした。

「手術したので、仕事が出来なくて、」

と、そんなこと言う気はなかったのに、つい、言ってしまったら、

「何処が悪かったのですか。」

と言い返されました。信用されてはいないようです。

ほんの何年か前まで、私はたいていの場合、好感をもって見られていると思っていました。
私の笑顔は、時には人を引きつける力があると、うぬぼれることもあったのです。

今は、自分がどんな風に見られているのか、わからなくなっています。

本当のことを言っているのに、信用して貰えないほど、卑しい目や顔つきなのかと、惨めな気持ちになりました。

お金があったらということではありません。何も苦労せずに生きていけたら、と言うことでもありません。いろいろあっていいのです。

それで、変わってしまったとすれば、それが悲しいのです。

自分の笑顔の影響力を良く承知している、若い税務署の職員に、新しく書類を渡されて、気持ちが重くなっていました。考えることが多すぎる。

「アー、こちらから電話ですか。三ヶ月後ですね。それまで、ずっと覚えておかなくてはいけないのですか、ンー…」

「当然です。自分のことなのですから。」

綺麗な目と見合いながら、思い出しました。

自分のことなのですから、と言われたのは、今年になって二回目でした。

 







2003.02.27 20:03

細胞診の結果を聞けたのは、年を越して1月8日でした。
若い男性の医者は、机の紙を手に取り、私を見て、又手元に目を落としてこう言いました。



「診断は5段階で表します。」



「通知票みたいですね。」


「1、2、が白で、4、5、が黒。つまり癌です。」

「はい」

「それで、あなたの場合、3でした。」

「…3、って。」

「グレーゾーンということです。」

若い医者は、後ろから蛍光灯で照らされた私の喉のレントゲン写真を、ボールペンで指して、

「この右上の腫瘍ですが。これは白で間違いないでしょう。問題はこれ。大きい分です。良性だと卵みたいに形が滑らかなんですが、ほら、不定形でしょ。」

「あぁ、」

「形状的には、癌と言っても不思議はないのですが、3に出たんです。」

「はぁ、」

「甲状腺の検査では良くあることなんです。良く分からないと言うことがあるんです。」

若い医者は身体をこちらに向けて、明るい顔で、

「現代の医学の限界というか、細胞診の限界ですね。」

「それって…ええと、」

医者は、又、身体の向きを変えて、レントゲンの腫瘍をボールペンで差して、
「この腫瘍は大きさが三センチで、充実性で、細胞診が3ですから、手術をした方がいいのかな… 暫く様子を見ると言う方法を取られても…。
だからと言って、見捨てたりしませんから心配なさらなくてもいいですよ。」

こちらを見て、聞きました。

「どうします?」

「エッ? 私にふるわけですか。」

その時、若い医者が言ったのです。

「ご自分のことですから。」

そう言われて、戸惑って少し驚いていました。

今までたいていの場合、言われなくても自分で決めてやって来ました。
自分のことだから自分で決めろと言われる状態は、誰も責任を持てないという時だと、理解しました。

結局、次に替わった医者がもう一度

「どうしますか?」

と聞いた後、目をそらして呟くように、

「結局は、切らなきゃいけないでしょうね。」

と言う言葉で、ほとんど観念したのです。

手術前の検査でも私の腫瘍はクレーゾーンのままで、それはそれで納得するところもありました。

何もかも解られてはたまらない。人の予想通りに生きて、予告通りに死ぬわけにはいかない、と思ったのです。

 

 




2003.02.28 21:00

入院したのは手術予定2日前の、2月2日でした。

ペイちゃんが入院グッズの入った鞄を持って、娘は羽根枕の入った大きなビニール袋を下げて、私は本を3冊小脇に抱えて、車に犬を置いて、駐車場からいつもの外来入り口ではなくて、入院患者専用の入り口から病院に入りました。

守衛がいました。入院のための手続きと採血、アレルギー検査の後、問診を受けて、体重と身長も計って、それから、看護婦の後について病室に入りました。

二人部屋でした。

周りをカーテンで仕切って、ベットの上と、その周辺の一歩半の床と片側の壁が私の陣地です。

「よく言うよね。自由には責任が伴うってさ。口先だけで若造をやり込めようとする時使うセリフ。あれってひどい言い方だよね。先のことなんて誰にも分からないわけよ。それなのに、かってするなら責任持てって何のことよ。こういう羽目になったのは、自分のせいだとか言われたら、あったまにくる。」

辻褄の合わないことを言いながらベッドに這い上がって、立っているペイちゃんを見上げました。視線に色々な思いを込めて。

物心つく頃から柱に頭ぶつけても、ほーら、ばちあたったと、周りの大人に過去の過ちを反省させられていました。

悪いことをすると罰が下されるのです。

だから私は思いがけない災難にあうと、例えば、階段を踏み外して尾てい骨を打ったときとかに、思わず過去を振り返える習慣があります。

何かばちのあたるような悪いことをしてしまったかなと、痛さに涙ぐみながら考えるのです。

離婚の後、染色の仕事をしていたときのことでした。

取引先の社長の奥さんが、ガス自殺の巻き沿いで、ひどい火傷を負って入院したと知らせがありました。

未成年の男女の心中事件でした。奥さんは小銭稼ぎに(社長の説明です。)アパートの大家をしていたのです。

救急車で運ばれたと聞いてから、何の連絡もないまま一週間たちました。
きっと状態も落ち着いた頃だろうからと、工房のみんなと話し合って、代表で私が見舞いに行くことになりました。

受付で教えられた階に上がっていくと、エレベーターホールの暗がりにある長椅子に、小柄な社長が一人、しおれたように座っていました。

「どうしたんです。奥さん、悪いんですか。」

もう回復期にあると思い込んで、花束を抱えてきた私は、その場に相応しくないことを言ってました。

「あかんのやて。」

おしゃべりで有名な人でした。でもその時は、さすがに言葉数は少なくて、病状を手短に説明してくれました。半身に及ぶ火傷は、自力で歩いて救急車に乗れるほど元気そうに見えても、その後急変することがあるのです。

社長の奥さんは、昨日から危篤状態でした。社長の顔は青黒く、目は充血していて、それに無精ひげが濃くて。

「そうだったんですか。もうてっきり、良くなってらっしゃると思ってました。」

励ます言葉は思いつきません。
花を間に置いて、黙って椅子に腰掛けていました。

その時、社長がだみ声で言ったのです。

「わし、なんか悪い事したと思うか。」

こう言うところが、この人の憎めない所でした。妻がこんな事になったのは、自分の行いのせいではないかと悩んでいるのでした。

噂は色々ありました。でも根は人の良い中年男のはずです。
第一、夫の素行の悪さで妻が災難に合う謂われはありません。
だから、確信のもてないまま、

「私の知っている限り、悪いことはしてらっしゃらないと思いますけど…」
と言ったら、

「ほうかな。ほう思うか?」

見たら、まつげに涙が溜まっていました。
死は、遺されたものに降りかかる問題なのだと、その時考えていました。