| 写真小説 |
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| 文 エス・トモ | 写真 平 桂弥 |
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振り向いた笑顔は確かに原田さんだけど、まるで違って見えた。
「どうかなさったのですか。」 その頃は、健康を安く見積もっていた。どうすれば痩せられるか、などという会話は私の周辺では挨拶みたいなものだった。
原田さんは以前と変わらない穏やかな口調で、
不意打ちだった。
医者は癌の告知には慎重だと聞いていた。その頃はまだ、本人が強く望む場合でなければ、告知はされないものだと思っていた。
「でも、手術で良くなったんでしょ。」
「後、半年だって医者に言われてるけど。どうなんだろうね。実のところ。」
作業台を隔てて、店の女性が絵の具を箱に詰めながら、私の顔をチラリと見た。 私は、棚の筆をうろうろ触りながら慌てていた。
もう半年だと宣告された人と何を話せばいいのか。私は若くて健康で、希望はいつも未来にあると思い込んでいた。
遂に、言葉が見つからなかった。
原田さんとは、それきりだった。
原田さんに、もう半年なんだよ、と言われて私がどんな顔をしていたか、今は良く分かる。
出来ることなら、そんな日が来ることをすっかり忘れて、最期まで先のことだけ考えて暮らしていけたらとも思うけれど、原田さんみたいにあっさりと、私はもうすぐお終いだから、それではさようならと言って回るのもいい、とも思う。
その時には、神様なんていないんだよ、と言いたいと思う。
中年の女性で、顔を歪めるように嫌な表情をする人がよくいるけど、あなたはそんな顔しないからいいね。 だけど、もう駄目だ。
私はもう、軽やかには笑えない。
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2003.02.15 11:00 実は、去年の12月初めから検査をしていて、腫瘍が何かはっきりしないまま、2月初め入院手術で甲状腺を4分の3摘出しました。甲状腺って喉にあること知ってた? それほど深刻に取らないで、命がけの手術と言うわけでもなかったから。 大丈夫、無事に終わって、退院出来ました。 コーヒーの飲み過ぎで、気持ち悪い。
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喉に横10センチの傷跡を、分厚い絆創膏様の物で貼って押さえています。 手術して一週間で退院して、今日で4日目です。手術跡の周辺が堅くなって、首が絞められたように苦しい。 病院に電話掛けて聞いてみたら、とペイちゃんが勧めるけど、うん、そうすると返事しながらそうしません。どうせ、どうにもならないと思うから。 今も、パソコンに向かっていると、息をするのも苦しくなって、帰って来たペイちゃんに、舌をベーッと出して見せて、絞殺死体はこんな風に舌出してると思う。 でも、首周辺以外は割合元気で、お腹も空くし、減らず口も叩いてます。 |
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鏡で見ると、舌が黄色いことに気がついて、ペイちゃんにほら黄色いと言って見せても、のど飴のなめすぎやろ。と言われて、この飴は無着色だといくら言っても信じてくれません。
今朝起きてすぐ、ほら黄色いと言って見せたら、本当やな。と認めましたが、何の解決にもなりません。
退院してから、パソコンに向かうだけです。それもやっとのことで・・
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2003.02.16 19:26
ところが、手術して取った物が、癌だったのかそうでないのか、未だに教えてもらってないのです。
神戸の専門病院に紹介されるまで、一ヶ月も検査の結果を待つことになって、インターネットで検索する時間があったから、もしかしたら、未分化癌という超悪性の可能性もあるわけだと、思い詰めた時期もありました。
そのときの心境を言えば、悩むとか苦しむというより、困った、とても困った、と言うのが適当です。周りの人たち一人一人のことを思い浮かべて、私がいなくても何とかなることにすぐ気がついて、それから自分のことを考えようとしました。
いつもそうしてきたように、問題があったら何らかの対策を練らなければいけないのです。
そして見ると、私の前にあったのは、真っ暗な闇でした。
私は途方に暮れました。 そんな時、
いきなりシェークスピアなんて出来過ぎなのは、夜中のテレビで現代版ハムレットの舞台中継を見たばかりで、記憶が新しかったので、
それを思い出したのは車の中で、
それは暗い灰色の渦を巻く激流のようで、私を突き抜けて車の後部座席へ流れていって、
二人、マネキン人形のように固まって、並んで座って、フロントガラス越しに信号を見ていました。
悲しみは、液体だと気がつきました。
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振幅の大きい方が、それは立体的で良い物なのです。 それは、何のことでしたっけ。
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ええ、そう、甲状腺を殆ど取ってしまったから、私は一生、甲状腺機能低下症というわけです。 インターネットで調べてみると、物忘れをしたり、惚けが早まったり、鬱になったりするらしいのです。甲状腺ホルモンの薬を、毎日飲んでます。 インターネットで調べると、この薬、生き物の甲状腺からつくるとありました。 生き物って何なんだろう。 頭の中で、ブタを殺して喉を切る様子を想像していました。タンパク質もカルシウムも、他の生き物から略奪して私は生きてきました。 そうして、生きていく意味が解らない。 |
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手術前と後では何が変化したのか。 生きるか死ぬかの問題が先送りになって周りを見渡すと、悩みの種は同じようにそこにありました。 死んではいけないと誰が言ったのでしたっけ。 娘が今 笑ってあげる気になれない。 昨日から、寝返りが打てないほど首の筋が痛くて、湿布薬を貼ってます。
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去年から、今年になっても、ペイちゃんは警備員のバイトに行く日の方が多くなっています。
仕事がないから時間があるというとき、誰も考えることは同じらしくて、去年の秋、ハローワークに行ってみたら、人が多くて驚きました。仕事のない人が大勢います。
これなら何とか私にもできるかと思って、行ってみたバイトの話です。
「母親が、財産と一緒に遺した13匹の猫の世話係一人募集」
うちには猫も犬もいるから、これならまあ何とかなりそうだと思ったわけです。 動物園の狸の獣舎くらいのコンクリートの部屋が三つ、中庭を囲んで立てられていました。新しく造成した一角の、一戸分の敷地に、猫獣舎とそれを世話するための部屋だけが建てられているのです。
獣舎に、半病気の猫が病気の度合いに応じて、分けて入れられていました。グレーと黒の縞柄がほとんどで、近親相姦で生まれたものだとすぐに気がつきました。
「亡くなった母が、野良猫を保護し始めて、手術をしないので増えてしまったのです。一時はこの倍ぐらいいたけど、今は13匹に減りました。」
遺産相続人の30代後半の姉妹は、二人とも質量的に私の二倍あって、つまり凄く太っていて、二人が並んで私の前に立つスペースはこの敷地にはないので、いつも姉の後ろから妹が重なるようにのぞいている、という風でした。 「私達は、母の遺した病院と遺産相続のことで・・母は医者だったんです。それで、弁護士さんにあわなくてはいけないから、とにかく忙しくて、忙しくて。猫の面倒が見れません。」
姉妹の住宅は1、5メートルほど段差のある隣りの敷地に建っている新築の家で、姉妹は、猫舎のある方の敷地へ渡してある木の橋を、折れそうに軋まして下てくるのです。
猫小屋を掃除する間、囚人のように猫を中庭に日光浴に出します。
「これは初めにお願いしておきますが、けっして猫は増やさないでいただきたいの。よく家の前に猫を捨てていく人がいるんです。こんなにいるから、猫好きだと勘違いされるんです。拾った猫は、お宅に連れて帰って下さい。私達は、母の遺したこの猫達だけに責任があるんです。」
中庭に面した一方に六畳の和室があって、大きな膝を折って正座した姉妹が前後に並んでガラス越しに、私の仕事ぶりを検分していました。 そのバイトは、一日で終わりました。
どれくらい追いつめられたら、私は選り好みせず稼ぎに出るのか。
私のベッドの横に、畳にふとんを敷いて寝ているペイちゃんが、目覚めと同時に大きなため息をついているのに気がつきました。足元に犬が寝ています。 この前まで、私がそんなため息をついていました。自分のため息で目が覚めて、重い気持ちになりました。
その事を教えたら、翌朝、ペイちゃんのため息が、途中で変な尻上がりの声に変わりました。自分のため息に気がついて、ごまかそうとして失敗です。
どうして私のため息がペイちゃんにうつってしまったか、分かっています。
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退院して、10日たちました。 目が覚めると、今寝ている場所が分かりません。 「ねえ、肩が痛くて、眠れないんだけど。」 相手を見ていて、実は自分を見ているのだと気がつくことがあります。 口を開けば身体の何処かが痛い話で、いい加減うんざりさせているのではないかと思ったとき、 「うん、早く良くなるといい。」 良くなると言う言葉に、少し心が揺れました。 あるプロセスを経なければ、次に進むことが出来ない気がします。 肉体的にも精神的にも、良くなると言うのは元通りになることではないと、その時気がついたのです。
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紹介されて行った甲状腺の専門病院の待合室は、込み合っていて、そのほとんどが女性でした。甲状腺の病気は女性特有病に入るらしいのです。
初めに私を診察したのは若い男性の医者で、私が持ってきた検査の資料とレントゲン写真を見ながら、私の方を見ずに言いました。
「形状的には、悪性の可能性がありますね。」
ふーん、こんな風に切り出すのだ、と思いながら、私も写真をのぞき込んで、 「それで、悪性だった場合ですが、」
と言ったら、医者はその先も聞かず、少しきっとなって、
「甲状腺癌は、手術しか方法はありませんよ。どうしても手術を拒否されるのなら、それは、」
「いいえ、別に拒否はしませんけど。私の心配してるのは、ホームページに載っていた、未分化癌じゃないかと思って、」
「それは無いでしょう。最初の病院で診察されてもう一ヶ月はたってるでしょう。未分化だったらそんなものじゃないですよ。それに…そうだとすれば、もうどうしようもなくて、何も出来ないと言うことだから…」
「ああ、そういうことですか…」
二人で又写真をのぞき込んで、
「確率的には、圧倒的に乳頭癌が多いですから、それを狙っていくのが順当でしょう。」
甲状腺癌の中で、乳頭癌は転移も再発も少ないとインターネットで調べていました。
「そうですか、とにかく検査してからと言うことですね。」
「急に声が出んようになったんです。」
隣りにすわっていた二人連れの一方の女性が、自分の喉を指さしながら、かすれた声で、話しかけてきました。
「その方が、静かでいいって、主人が言うんですけどね。」
私より、5つ、6つ年上の朗らかそうな女性で、話したくて仕方が無いようでした。
「原因がわからんのですよ。」
「どうしたんでしょうねぇ。」
「明日、主人が医大で喉頭癌の手術なんです。」
「そりゃ、やっぱり、ストレスでしょう。」
「そうですかねぇ。そう言えば、震災の時も声が出んようになって、ここに来たんやけど。」
「じゃあ、やっぱり、ストレスかもしれない。ストレスが喉に出る質かも知れませんよ。」
女性はハハハと笑って、
「そうやろか。おたくは、どこかお悪いんですか。」
私も喉を指さして、
「甲状腺に腫瘍です。3センチか4センチくらいのと、他にも幾つかあって、癌かどうか調べるんです。」
「あらまあ。手術ってこともあるんですか。」
「手術を拒否するって、勇気いりますよね。」
さっきの話を、思い出していました。女性が次の言葉を選んでいるとき、私の名前が呼ばれて血液検査室に入りました。
エコー室の前で、さっきの女性が私に手をふりました。連れの人は、弟の嫁さんだそうで。話の続きです。
「明日、大変ですねえ。」
「周りのもんが心配しとるのに、本人さんは平気でよう食べるし、呑気なんですわ。」
「ああ、うちもそうです。家族が食欲無くなったって言うから、心配かけて悪い事したなあって、思うんですけど。」
二人の女性が笑って聞いているので、私は続けて、
「思うに、未来への不安が一番ストレスになるみたいですね。癌になった本人は最悪、未来が無いということですから、頑張ったってしょうがない。周りの人はこれから先があるわけで、頑張らんといかんと思うから、ストレスが溜まるんだと思います。」
声の出にくい女性は暫く黙って私の顔を見てから、連れの女性と私の顔を交互に見て、
「昨日な、これ、しまっといてくれゆうて、通帳出すねん。見たらな、三百万もへそくりやで。びっくりしたわ。なあ。いつの間にためこんだんや。こりゃ、名義かえとかな使われへんわ、ってゆうたらな、お前わしに死なんとっていうたくせ、何やそれ、って主人言いますねん。」
三人で笑いました。
エコーの検査は声の出にくい女性が先でした。終わって、出てきて
「何やしらんけど、声が出るようになってきたわ。お宅まだ検査あるんですか。」
と聞くので、
「細胞診です。腫瘍に突き刺して、そこの細胞とって検査するんです。」
と言うと、声の出にくい女性は、椅子に座っていた私の手を取って、
「お医者さんに、手術したほうがええ言われたら、手術した方がいいですよ。」
と真剣な眼差しで、忠告と言うか、励ましというか、それからわりに元気に廊下を歩いて行きました。
その日がクリスマスイブだと気がついたのは、夜になってテレビをつけたときでした。
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ようやく、一年分の領収書やら支払いやらを整理して確定申告に書き込んだら、右の肩に針を刺すような痛みです。 何とか今日、税務署で申告書を出しました。それから納付相談窓口に行ったら、受け付けたのは紺色のスーツを来た若い綺麗な女性でした。 去年秋に対応したのは若い男性で、こちらの事情に同情的だったのに、彼女はそうではありませんでした。 「手術したので、仕事が出来なくて、」 と、そんなこと言う気はなかったのに、つい、言ってしまったら、 「何処が悪かったのですか。」 と言い返されました。信用されてはいないようです。 ほんの何年か前まで、私はたいていの場合、好感をもって見られていると思っていました。 今は、自分がどんな風に見られているのか、わからなくなっています。 本当のことを言っているのに、信用して貰えないほど、卑しい目や顔つきなのかと、惨めな気持ちになりました。 お金があったらということではありません。何も苦労せずに生きていけたら、と言うことでもありません。いろいろあっていいのです。 それで、変わってしまったとすれば、それが悲しいのです。 自分の笑顔の影響力を良く承知している、若い税務署の職員に、新しく書類を渡されて、気持ちが重くなっていました。考えることが多すぎる。 「アー、こちらから電話ですか。三ヶ月後ですね。それまで、ずっと覚えておかなくてはいけないのですか、ンー…」 「当然です。自分のことなのですから。」 綺麗な目と見合いながら、思い出しました。 自分のことなのですから、と言われたのは、今年になって二回目でした。
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細胞診の結果を聞けたのは、年を越して1月8日でした。 「はい」 「それで、あなたの場合、3でした。」 「…3、って。」 「グレーゾーンということです。」 若い医者は、後ろから蛍光灯で照らされた私の喉のレントゲン写真を、ボールペンで指して、 「この右上の腫瘍ですが。これは白で間違いないでしょう。問題はこれ。大きい分です。良性だと卵みたいに形が滑らかなんですが、ほら、不定形でしょ。」 「あぁ、」 「形状的には、癌と言っても不思議はないのですが、3に出たんです。」 「はぁ、」 「甲状腺の検査では良くあることなんです。良く分からないと言うことがあるんです。」 若い医者は身体をこちらに向けて、明るい顔で、 「現代の医学の限界というか、細胞診の限界ですね。」 「それって…ええと、」 医者は、又、身体の向きを変えて、レントゲンの腫瘍をボールペンで差して、 こちらを見て、聞きました。 「どうします?」 「エッ? 私にふるわけですか。」 その時、若い医者が言ったのです。 「ご自分のことですから。」 そう言われて、戸惑って少し驚いていました。 今までたいていの場合、言われなくても自分で決めてやって来ました。 結局、次に替わった医者がもう一度 「どうしますか?」 と聞いた後、目をそらして呟くように、 「結局は、切らなきゃいけないでしょうね。」 と言う言葉で、ほとんど観念したのです。 手術前の検査でも私の腫瘍はクレーゾーンのままで、それはそれで納得するところもありました。 何もかも解られてはたまらない。人の予想通りに生きて、予告通りに死ぬわけにはいかない、と思ったのです。
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入院したのは手術予定2日前の、2月2日でした。 ペイちゃんが入院グッズの入った鞄を持って、娘は羽根枕の入った大きなビニール袋を下げて、私は本を3冊小脇に抱えて、車に犬を置いて、駐車場からいつもの外来入り口ではなくて、入院患者専用の入り口から病院に入りました。 守衛がいました。入院のための手続きと採血、アレルギー検査の後、問診を受けて、体重と身長も計って、それから、看護婦の後について病室に入りました。 二人部屋でした。 周りをカーテンで仕切って、ベットの上と、その周辺の一歩半の床と片側の壁が私の陣地です。 「よく言うよね。自由には責任が伴うってさ。口先だけで若造をやり込めようとする時使うセリフ。あれってひどい言い方だよね。先のことなんて誰にも分からないわけよ。それなのに、かってするなら責任持てって何のことよ。こういう羽目になったのは、自分のせいだとか言われたら、あったまにくる。」 辻褄の合わないことを言いながらベッドに這い上がって、立っているペイちゃんを見上げました。視線に色々な思いを込めて。 物心つく頃から柱に頭ぶつけても、ほーら、ばちあたったと、周りの大人に過去の過ちを反省させられていました。 悪いことをすると罰が下されるのです。 だから私は思いがけない災難にあうと、例えば、階段を踏み外して尾てい骨を打ったときとかに、思わず過去を振り返える習慣があります。 何かばちのあたるような悪いことをしてしまったかなと、痛さに涙ぐみながら考えるのです。 離婚の後、染色の仕事をしていたときのことでした。 取引先の社長の奥さんが、ガス自殺の巻き沿いで、ひどい火傷を負って入院したと知らせがありました。 未成年の男女の心中事件でした。奥さんは小銭稼ぎに(社長の説明です。)アパートの大家をしていたのです。 救急車で運ばれたと聞いてから、何の連絡もないまま一週間たちました。 受付で教えられた階に上がっていくと、エレベーターホールの暗がりにある長椅子に、小柄な社長が一人、しおれたように座っていました。 「どうしたんです。奥さん、悪いんですか。」 もう回復期にあると思い込んで、花束を抱えてきた私は、その場に相応しくないことを言ってました。 「あかんのやて。」 おしゃべりで有名な人でした。でもその時は、さすがに言葉数は少なくて、病状を手短に説明してくれました。半身に及ぶ火傷は、自力で歩いて救急車に乗れるほど元気そうに見えても、その後急変することがあるのです。 社長の奥さんは、昨日から危篤状態でした。社長の顔は青黒く、目は充血していて、それに無精ひげが濃くて。 「そうだったんですか。もうてっきり、良くなってらっしゃると思ってました。」 励ます言葉は思いつきません。 その時、社長がだみ声で言ったのです。 「わし、なんか悪い事したと思うか。」 こう言うところが、この人の憎めない所でした。妻がこんな事になったのは、自分の行いのせいではないかと悩んでいるのでした。 噂は色々ありました。でも根は人の良い中年男のはずです。 「私の知っている限り、悪いことはしてらっしゃらないと思いますけど…」 「ほうかな。ほう思うか?」 見たら、まつげに涙が溜まっていました。 それから二日して、奥さんはなくなりました。 何か不幸な事があるたびに、自分が悪いことをしたせいだと思うのは間違いです。訳の解らないことってあるんです。 娘はサイドテーブルの引き出しに本をしまい、ポットとコーヒーカップはここ、タオル、歯磨き、着替えのパジャマはこの中に入れとくからと、まるでいつも母の世話は私がやっております、というような身の軽さで片付けて、 「じゃあ、帰るわ。」 と行ってしまいました。 「僕は、面会時間が終わるまでいるから。」 とペイちゃんは折り畳み椅子を出してきて、本を読み始めました。 カーテンの向こうで、時々フフフとか、ハハーと笑う声が聞こえるので、こちらの話がおかしくて笑っているのかと思ったらそうではなくて、隣りのベットの患者は本を読んでいたので、 「バウ、じっくり読んでると、めちゃ面白いんです。後で貸しますか。」 というから、何の本かと思ったら、 「はだかでぼくが歯をみがいたら、ぼくのちんちんゆれた。ってあれ。間違い文字の看板や、面白い広告ばっかり集めた本。こんなもん読んで笑ってる場合じゃない、って古本屋に売ったやつ。」 とペイちゃんに教えられました。あれは、こんな時に読む本でした。 バウを読んで笑っていたのは、30代の保育士さんでした。
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入院した病院は甲状腺専門だから、手術は喉だけです。チューブを二本首から垂らして、その先に血の溜まったビニールの蛇腹の入れ物をぶら下げて、廊下を歩く入院患者の姿は私を挫けさせました。 何でも、見る立場と当事者であることと両方経験すれば、偏見はなくなるみたいです。 順番が来れば、当然のように自分も受け入れていました。 自分に関わりのないことだと思っていた、色々のことがそうでした。 歳を取るのもその一つです。 入院した夜、洗面所で鏡に映ったお互いに会釈した後、歯ブラシをもったまま話しかけられました。 「お宅、腫瘍の大きさ、どれくらいあるの。」 その人の首に、横に12〜13センチの傷跡があって、傷には短く切った絆創膏がチャックのように立てに並べて貼ってありました。 手術して何日かたっているのです。チューブはもう外されていました。 「大きいのが3センチです。あと小さいのが幾つか。」 と、顔を洗いながら答えたら、その人は、ふんふんとうなずきながら、 「まあまあの大きさやな。」 と言ったのです。 病室へ急いで帰って、その話をして、お隣さんとベットで転げて大笑いしました。 「それって、ええなあ。」 「いよいよ、末期癌になったら、そういう人の集まる場所にいきたいなあ。」 後三ヶ月か、まあまあやな。と言い合えるかもしれん。 と二人で話しました。 それから数日して、まあまあの大きさやなと言った人は退院したらしく、姿が見えなくなりました。 誕生と死と、両方の経験を生かす場所はあるのでしょうか。あっても、この世のことではないのでしょうね。
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全身麻酔を、どんな状態だと説明すればいいでしょうか。 手術は午後の一番目に決まりました。 その日は朝食抜きで、二時間前から点滴を受け始めました。 思わず他の人と体重と比べてしまったのは、長年の習慣です。 私がその時思い出していたのは、娘の出産の時でした。私は、通常の体重を20s増やしていました。陣痛が始まった私を持ち上げようとした看護婦が、 「だれかてつだってぇー、この人、凄く重いわ。」 と大声を上げたことが忘れられないのです。 今から私は、全身麻酔を受けて、多分、意識の回復する前に、手術台から別な台に移され運ばれて、それから病室のベッドに又移されるだろう。 とにかく、4人の中で、私の体重が際だって重いわけではないと確認して見渡すと、看護婦が私の周りで何かしようとしていました。 「まるで、ゾンビの映画みたいですね。」 と二度目の診察の時、青年医師に言ったら、 「それは、こちらの問題ですから、心配なさらなくても大丈夫です。」 と言われて、まあね、自分が見なくてすむという意味ではね。でもね、知らない間に私の身体でそんなことをされてるなんて、やっぱり気味が悪いでしょう。 その後、麻酔が覚めかけた夕方から翌朝まで、喉に絡む淡が切れなくて、息をつくのが苦しくて辛くて、最期は淡が絡んで呼吸が止まった父と一緒だと思って、こうやって死ぬのは苦しい、嫌だなと繰り返し思いました。 手術室に入る前に打つ注射に、陽気にさせるものが入っているらしくて、バイバイなんて、手を振って手術室に入っていくのは、そのせいなのだと、後日、獣医に教えられました。
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今日、食事は全部食べて、トイレは大が一回、小が五回、夜、咳が出るので薬を下さい。と言った調子で、何も考えずに人任せの入院生活は、退屈かと思ったらなかなか快適でした。 「私は、癌になったんや。」 カーテンの向こうから声がします。 「去年離婚して、転勤して、おまけに網膜剥離になって、甲状腺癌やろ。こけて、やっと起き上がったと思ったら又こかされて、というわけやわ。」 思わず笑ってしましました。 「そういうたら、何や知らんけど、みんな笑うんや。」 言い方がおかしいだけです。 私も色々あってね。だけど言い方でどうにでもなるなあ。悲劇的喜劇と言うか・・ 同室の二人とも、戻ったら浮世の悩みが待っているのです。でも、その時は、ベッドにあぐらをかいて座って、今置かれているこの状況がおかしいと、笑っていました。 カーテンに囲まれたベッドにうずくまってこのままいれば、現実から逃れて生きていけると思い込むまで、ほんの後一歩という気がしました。 人の精神は危ういと思ったのです。
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結婚に至る経緯は、どれを聞いてもなんて楽観的なのだろうと、離婚に至る経緯はどんな場合もどこかに痛む個所があると思います。 お隣さんは、その傷跡がまだ新しいのです。 「震災の時、自分の身体で私をかばってくれとったんや。いざと言う時、命がけで私をかばってくれたんやなあ。と思って、それで、何年も引きずってしまった。あれが無ければ、もっと早くに別れていたけど。」 相手を未練で苦しめようと思えば、出来るだけの優しさを示して別れればいい。 私の場合は、もう愛はないのと言った。だから、別れた男はすぐに再婚できたのではないかと思っています。 私より二日早く、お隣さんは退院しました。 「入院してて何や、と言われるけど、入院生活は楽しかったです。」 私もそうでした。お互い入院生活が楽しく思えるほど、大変だったのね。
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私は何年もの間、描かない絵描きでした。 今朝、目覚めた後も、布団にもぐって目を瞑ったまま、一枚の絵を描きました。 荒野で一人の人間が大勢に取り囲まれていて、それを斜めから見る構図です。取り囲む者が人間なのかどうかはっきりしません。 その人たちは、結束して戦おうとするのです。 ところが、周りを取り囲んでいる者達にも、その者達に共通の辛い過去があるのです。 迫害する者たちも迫害される者たちも、その過去にある負の経験のために、結束するという絵なのです。 空気は冷たく薄く、まるで月の表面にいるように悲しいのです。
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私はあの世から帰ってきているのです。母も一緒でした。 娘がいて、それは、ペイちゃんと誰かの子供です。 夢の中で、胸が苦しくなりました。失った悲しみです。目覚めてもまだ苦しさは続いています。 今日本当に、アメリカはイラクを攻撃する気でしょうか。ブッシュ大統領が、宣戦布告の演説をする実況が始まるまで、テレビは、時間潰しの番組を流しながら待っています。 相手が自分ほどのものだと見くびるところに、トラブルの原因はある。と言う言葉が浮かびました。 おそらく相手は自分のようには考えていないのです。 臆病者の想像する未来は惨めな世界です。
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実は、退院して一ヶ月後の診察で、やっぱり腫瘍は癌だったと知らされました。 主治医はその後の言葉を濁しました。それをどう続ければ、私を納得させられるのか、誰にだって難しいことです。 私に、この先、人類に画期的な貢献をする可能性は、とても、とても、低くなっているのです。 もっと、生き延びたいと思うのは、只の執着、欲深いと言われたら、そうなのですと、答えるしかないのです。
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2003.02.26 19:23 もらった入場券で神戸の美術館にいってきました。 久しぶりに一人の外出です。 コーヒーの入った紙コップを持って、窓際のカウンターに座ったら、ガラス越しに、外のテーブルが見下ろせました。 年配の夫婦がパンフレットを手に、海を見ていました。 男性がデジカメを取り出して、女性に海を背景に立つように促しています。 「もう少し左に寄って。」 ここであったことは、もう二度とない、今がずっと続くわけではないのだと、知っていてそれを残そうとしている。 |
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お隣さんへ、 答えはすべて、自分の中にあるような気がしています。 いつか、私の人生に関わるもの全てと別れ、終わってしまうと考えるだけで、寂しさで心がふさがって、今ある幸運を信じられなくなっていました。 生き続ける事が幸福の条件だとすれば、この世に完全な幸福なんて、初めから無かったのです。 今、雷が落ちました。昼の雷は閃光の前触れもなく、いきなりものすごい音です。 これから先も、この突然の雷のように思いがけない出来事が、私たちに降りかかる事があるのでしょう。 でも、もしまたいつか、どん底だと思われる時がきても、それを笑って話せる相手を側に見つける事が出来れば、大丈夫、何とか乗り越えられるでしょう。 私たちが、甲状腺専門病院で出会ったように、探せばきっと側にそんな友人を見つけられると思うのです。 月曜から出勤ですか。 今年の春に別れは無いようです。 了 |
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